FC2ブログ

桜田門外の変「情念の炎」ブログへようこそ

                 桜田門外の変「情念の炎」ホームページはこちら
本日も、当ブログへアクセスしていただき、誠に有難うございます。皆様のお陰で、3年間にわたって挑戦してまいりました執筆活動も無事、終了することが出来ました。心より厚く御礼申し上げます。ブログでは、時折々に思いついたこと、感じたことなどを皆様方と対話するような気持ちで綴ってまいりますので、引きつづき宜しくお願い申し上げます。
  

FC2ブログランキング
←ご協力お願いします

大橋天狗党 「森貞次郎」 について (下)

  黒沢登畿は26歳で夫に死別。行商により貧しい生活を支え、傍ら俳句、狂歌、和歌などを学んだ。安政5年(1858)の安政の大獄の際には、前藩主徳川斉昭の無実を京都まで訴えに行ったが、捕えられて追放の身となる。明治5年(1872)郷里の錫高野に小学校が開設されると、教師として任用された。時に66歳、我が国最初の小学校女教師である。
  貞次郎の影響で、尊攘思想は大橋村の若者の間にも浸透していったものと思われる。大橋村では安政5年12月、森重左衛門、貞次郎父子ら13名からなる血盟が結ばれた。大橋天狗党の結成である。血盟の中心は、当時22歳の貞次郎といわれている。
  かれは安政年間(1854~59)にしばしば江戸へ出て国事に奔走し、また文久年間(1861~63)には藩主徳川慶篤に従って上京した。文久3年(1863)11月、即時攘夷を実践せんとする藤田小四郎は、かつての学び舎「日新塾」を訪ね、挙兵の時至ると塾生の決起をうながした。貞次郎はいち早くその呼びかけに応じた。

  元治元年(1864)3月、貞次郎は大橋村の他の10名の同志と共に小四郎らの筑波山挙兵に参加した。その後、天狗党別働隊の田中愿藏一派が大橋村近辺を横行し、放火、掠奪などを行なったため、憤激した村内村役人層は諸生派に与し、8月に森家など天狗挙兵の留守宅を襲撃し、二度にわたって打毀しを行なった。
同年10月、大子村に集結した武田耕雲斎を総大将とする天狗党に貞次郎らは合流した。その折、貞次郎は幼い娘「いそ」の頭をかき撫で名残りを惜しんで出発した。これが今生の別れとなったのである。

  11月1日、天狗党は禁裏守衛総督一橋慶喜を頼って京都へおもむき、朝廷へ尊王攘夷の素志を訴えるため大子を出立した。時には戦い、時には戦わずして多くの藩領を通過し、約1.000キロを歩き通した。厳寒に耐えて幾多のや山野を踏破し、艱難辛苦の行軍を続けた。常陸大子を出発してから40日、苦難の果てに敦賀新保宿に到着した。しかし、かれらを待ち構えていた幕府、諸藩の追討軍最高司令官が、頼みとする一橋慶喜と知って絶望し、ついに投降した。幕府の裁決の結果、武田耕雲斎以下823名中352名が死罪となった。大橋天狗党から参加した貞次郎(28歳)以下4名も斬刑に処せられた。貞次郎らは己の信ずる大義に殉じたのであろう。
  生き残りの人たちの話によれば、罪を決める訊問はごく簡単で、武器をとって戦ったか否かということだけ。戦ったと言えば斬首、自分は百姓で荷を運んだだけとか、炊事その他の雑用をしただけと言えば、そのまま赦された。実際には武器をとっても、そう言わずに助かった者もあったらしい。

 前述の通り、森家は二度の打毀しを受けている。母屋の床柱も刀傷を受け、また目ぼしい家財も大半を持ち去られたという。その間、当主重左衛門は下野国(栃木県)茂木方面に身を潜めていたらしい。また、彼の妻は子を引連れ姑の実家(七会村森家)に避難していた。当時の森家の書院は近郷に類を見ない壮麗なものであったという。これも打毀され、幼時の私が感じ入った書院は、そのとき破壊された残材で再建されたものであるという。
  やがて江戸幕府が崩壊し、1868年明治維新政府が成立すると、天狗党が官軍、諸生党が賊軍となった。大橋村においても、安政5年貞次郎らの血判以来明治元年に至る10年間、村内農民の天狗、諸生両派の劇烈な騒動にも終止符が打たれた。大橋天狗党首領であった森重左衛門も長い潜伏生活から帰村し、庄屋職に復帰した。やがて諸生派に与した農民を呼出し、謝罪状を書かせて忠誠を誓わせた。

 水戸藩内では、維新後天狗党が村政の指導権をにぎった例は多数あるようである。「明治十四奉歳次辛巳 有斐亀井直(笠間藩儒学者)書」名による「松原神社」を標題として、敦賀行軍死亡者400名近い氏名が書かれた掛け軸が森家に残されている。20年ほど前までは、毎年2月にこの掛け軸を掲げて遺族7軒ほどが順送りに当家を務め、供養を行なっていたという。
  このレポート作成のため60年ぶりに森家を訪れてみると、再建140年を経過した書院は、かつての栄華をすべて清算し尽くしたかのように静かにひっそりと佇んでいた。(終わり)
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

鯉渕義文

Author:鯉渕義文
1945年、那珂市生まれ。茨城大学教育学部を卒業後、教員として那珂湊水産高校、鉾田二高、太田二高などに勤務。退職し現在は桜田門外の変同好会代表幹事。

「情念の炎」上巻、中巻、下巻
 「情念の炎」下巻
この本を購入する
茨城県内一部店舗で販売しています
義援金募集
FC2「東北地方太平洋沖地震」義援金募集につきまして
FC2はユーザーの皆様から募金を募り義援金として支援を実施いたします。
映画「桜田門外ノ変」
桜田門外ノ変映画予告編 桜田門外ノ変メイキング 主題歌alan/悲しみは雪に眠る
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
カウンター
リンク
検索フォーム
QRコード
QR