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幕末の宣伝戦「水戸天狗党と諸生派」 (3)

弘道館諸生の建言書(存意書)

乍恐先君烈公告志篇を著して廣く士民へ諭し玉ふ。其第一條に忠孝之本意を述させ玉ふ。次に人々天祖東照宮の御恩を報んとて惡く心得違ひ、眼前之君父を指置、直に天朝公邊へ忠を盡さんと思はば、却て僭亂之罪遁れ間敷旨を述させ玉ひし事、我藩の臣子たる者、何れも心得可罷在事に候所、近来狂暴の士民等尊王攘夷之名を借て、累代厚恩の君上を指置き、各其身の分限を忘れて天朝の恩明徳を奉誣、他国浮浪之惡徒をかたらひ、國中無罪の良民を苦め、徳川家御親藩之臣下として妄将軍家を軽侮し、昇平之至恩を忘れて反乱の大逆を企、無礼之暴論を以て数々君上に奉逼、種々の流言を作りて、多くの異論の良臣を退け、賄賂を貪り私党を張り、祖宗之法度を破り士民の礼分を廃し、加之東西に奔走しては公武の御中を奉妨、上下之情を壅塞して君臣の通路を絶ち、其他の惡業不遑枚挙、是を以て先君烈公の御遺志と称し、我水國真の義勇を転じて虎狼之國となし、貧亂無礼の盗民を集めて忠孝篤實の世臣を用ひず、終には一國の君臣上下悉く反乱之賊に陥ん事眼前にて、士民之耻辱千載之汚名無此上、臣子之身分決て等閑に可相過時節に無之、且我々是迄日々弘道館に出入りし、文武之業を勤めて以て君上の恩に報ぜん事を謀る。今此時に当て國之逆臣を除き、賊之横行を制するに非んば、何を以てか地下に烈公に見へ奉らん。依之面々忠憤難黙止、自然一同集会仕候上は、共に心を一にし、力を合せ是非白黒を弁明し、是を天下に明にし、年来之誠心を相達し、眼前君上之御配慮を可奉安、一同之本意に御座候。依て此段申上置候、以上。

  まず檄文の内容から考えてみることにする。それは第一段から四段まで、起承転結という文脈が整っていて、檄文にふさわしい力強さが感じられる。
  第一段は、天狗党挙兵の旗印である「尊王攘夷」が神州日本の開闢(建国)以来の大典(大法則、大原則)であることを歴史のうえから実証する。その文脈は藤田小四郎の父東湖の「回天史」や「正気歌」に似ている。
  第二段は、思い切った切支丹政策をとった江戸幕府の祖「東照宮」(家康)と鎖国令を公布した「大猷公」(家光)は「尊王攘夷之大義」に基いての行動であるから、結局、尊王攘夷は幕府の大典であると明言する。その論述は、水戸学の経典とされる『弘道館記』の「我東照宮揆乱反正、尊王攘夷」という記文に由来するとみられる。藩主斉昭の名で記された館記は、実は東湖の原作であるから、第一、第二段は東湖の思想の継承であるといえる。その子小四郎が起草者の中心と考えられる所以でもある。
  第三段で、一転して「然るに方今夷狄之害は一日一日著しく・・・内憂外患日増に切迫致し、叡慮御貫徹之程も無覚束・・・實に神州汚辱危急今日より甚しきは無之」という時局を慨嘆する。ここで最も重要視されたと思われることは、叡慮すなわち孝明天皇の攘夷親征の詔勅を指すもので、攘夷という天皇の考え、朝廷の方針が実行されるかどうか覚束ないという天狗党幹部の認識である。攘夷を貫徹して尊王の実をあげるためには、いわゆる君側の奸を除かねばならぬ。そして非常の功を立てるためには、非常の事を実行するほかはない。上は天皇の宸襟を慰め奉り、下は幕府の英断、つまり攘夷を断行することを助け、従来の外圧による大汚辱を一洗するために神風を待つのは「實に神州男児之耻」ではないか。これが挙兵の大目的であるというのである。
  第四段、檄の結びでは、「諸国忠憤之士」に「進退去就」を決断して「上は天朝に報じ奉り、下は幕府を輔翼し」て、神州の威光を万国に輝かすようにするのが、挙兵したわれわれの本来の念願である。「東照宮在天之神霊」御照覧あれ、それ以外に何も言うことはない、と呼びかけるのである。
  尊王攘夷の本義を強調して同志を募るというだけでなく、挙兵の目的を力強く一般の士民に訴えるということで、その宣伝力は充分発揮されたものと思われる。それは、この檄文以後、各地からの共鳴者が尊王攘夷の旗の本に馳せ参じたことでも明らかであろう。
  しかしまたその一方で、この檄文発表から間もなく、五月末同志の有力メンバーだった田中愿蔵が天狗党を離脱して別行動をとったことは、この檄文が促進したものではないかと思われる。藤田小四郎と水戸の原仲寧(市之進)の菁莪塾で同門だった田中愿蔵が、小四郎と袂を別つに至った原因について、生涯を田中愿蔵の研究に捧げたといっても過言ではない福島県塙町出身の金沢春友氏は、その著「水戸天狗党異聞」の中で、結局は田中の討幕思想にあったと述べている。その説に従えば、小四郎らが起草した檄文の東照宮尊崇、幕府そのものの存続は決して反対ではない内容に愿蔵が反発を感じたと考えてもおかしくはない。 もっと言うならば、小四郎ら幹部としては、軍資金調達などで民衆からも恐れられていた異分子を切り捨てるためにも、檄文を発して天狗党としての統一的な見解を表明する必要性に迫られていたとも考えられる。とすれば、その点でも檄文の効果があったものとみることができよう。(つづく)
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プロフィール

鯉渕義文

Author:鯉渕義文
1945年、那珂市生まれ。茨城大学教育学部を卒業後、教員として那珂湊水産高校、鉾田二高、太田二高などに勤務。退職し現在は桜田門外の変同好会代表幹事。

「情念の炎」上巻、中巻、下巻
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