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幕末の宣伝戦「水戸天狗党と諸生派」 (2)

 天狗党の檄文には幕藩制のもとでの最高の聖地日光東照宮が背景にあり、諸生共の宣言書には、第二代藩主光圀によって復興された願入寺を拠点とする集会が背後にあった。前者は戦火をまぬがれ、後者は昭和戦前復興がはじまったが、本堂は戦後になってようやく落成した。共に聖地を背負っての宣伝戦だったが、聖地はそれぞれ別の運命をたどったことになる。
 ところで、両者の宣伝文の比較検討をはじめる前に、少しだけ記しておきたいことがある。それはこの両宣伝が古くからどのように扱われてきたか、という点である。その点で最も早く両者を幕末の重要史料として記録に留めたのは「波山記事」ではないかと思う。「日本史籍協会本」の一部として刊行されたのは大正七年であるが、これは仙台藩士玉虫左太夫が、幕末藩命により他藩の情勢探索の一つとして収集した史料集である。その中に両宣伝を公平な立場で紹介している。玉虫は幕末遣米使節の一員で新知識の持主であったが、奥羽列藩同盟成立にも尽力、佐幕派重鎮として明治二年七月処刑された。
 恐らく「「波山記事」のまとめよりは遅いと思われるが、水戸で最も早いのは某藩士の幕末編年史ともいうべき「否塞録」(未刊本)である。著作年代は恐らく慶応四年九月明治と改元されてから間もない時期ではないかと思う。著者についてはなお考証を要するが、中立派の藩士小宮山楓軒の孫綏介(南梁やすすけ)ではないだろうか。この点については後日その考証などを発表してみたいと思っている。
 ただ、両者は両宣言とも闕字(けつじ)や擡頭(たいとう)、平出(へいしゅつ)といった江戸時代の書式によって載せられているが、後者は闕字だけが行なわれたような記し方である。もっとも私がよった「否塞録」が原本かどうか分からないので、断定はできない。ともかく両宣言は、皇室や将軍などに関しての闕字などで尊敬の意を表する書式をとっていると考えられる。そしてこれらは両宣言とも皇室、幕府を重んずる態度をくずさなかったとみられる点で無視できない。しかし、この方式は近代では一般的に使用されていないので、本稿でも昔の書式はとらなかったが、内容の体裁を考える上では微妙なものがあるので、その点を忘れては、当時の事情を理解する上に差し支えがあろう。
 なお筑波挙兵一件についての数多くの史料集、著書、また小説などを調べてみると、二つの宣言をあげているものは案外少なく、小説では触れられているものはないといってもよい。著作によっては片方だけあげて、一方を無視しているのもある。例えば前掲「水戸小史」などは、自作の諸生の建言書は全文掲げているのに、天狗党の檄文の存在には一言も触れていない。それは尊王攘夷に反対する立場から、檄文を無視したものと考えざるを得ない。
 両宣言に触れてそれぞれの立場を公平に記したものとしては、大正四年の徳川家蔵版『水戸藩史料』があり、最近では『水戸市史』中巻五が詳しい。両方の意義をよく記しているのは鈴木暎一著『水戸弘道館小史』(平成十五年五月、茨城大学五浦美術文化研究所発行『五浦論議』分冊、歴史編3)である。
 さて次に宣伝戦という視点に立って、檄文と建言書の内容を比較してみることにしよう。そのためにまず作成年代に従って先に檄文、次に建言書を全文掲げることにした。その全文は諸書によって異同があるが、今回は『水戸藩史料』(下編全)に引用されたものにより、読み易く句読点をつけるなど、読者の便を図った点もある。勿論『水戸藩史料』は闕字などの方式はとっていない。

天狗党の檄文

「尊王攘夷は神州之大典なる事、今更申迄も無之候得共、赫々たる神州開闢以来皇統綿々御一姓、天日嗣を受嗣せられ、四海に君臨まし々々、威稜之盛なる實に萬国に卓絶し、後世に至ても北條相州之蒙古を麌(みなごろし)にし、豊太閤之朝鮮を征する類、是皆神州固有之義勇を振ひ、天祖以来之明訓を奉ぜし者にして、實に感ずるに餘りあり。東照宮、大猷公(たいゆうこう)には別て深く御心を被為盡、数百年太平之基を御開き被遊候も、畢竟尊王攘夷之大義に本づかれ候儀にて、徳川家之大典、尊王攘夷より重きは無之様相成候は、實に由々敷事ならずや。然るに方今夷狄之害は一日一日著しく、人心は目前の安を偸(ぬす)み、是に加るに姦邪勢に乗じ、庸儒權を弄し、内憂外患日増に切迫致し、叡慮御貫徹之程も無覚束、祖宗之大訓振張之期も無之、實に神州汚辱危急今日より甚しきは無之、假初にも神州之地に生れ、神州之恩に浴するもの、豈おめ々々と傍観坐視するに忍んや。僕等幸に神州之地に生れ、又幸に危難之際に處し候上は、不及ながらも一死を以國家を裨補し、鴻恩之萬分に報じ可申と覺悟仕候。仍て熟慮致候處、必死之病は固より尋常藥石之療する所にあらず、非常之事をなさざれば、決て非常之功を立る事を得ず、況や今日に當り上は聖主之宸襟を奉慰、下は幕府之英断を助け、従来の大汚辱を一洗するに於をや。是に於て痛憤難黙視、同志之士相共に東照宮之神輿を奉じ、日光山に相會す。其志誓て東照宮之遺訓を奉じ、姦邪誤國之罪を正し、醜慮外窺之侮を禦ぎ、天朝、幕府之鴻恩に報ぜんと欲するにあり。嗚呼、今日之急に臨み、誰か報功之念なからんや。又誰か夷狄之鼻息を仰ぎ、彼が正朔を奉ずるに忍んや。既に報効之志を抱き、亦夷狄之狡謀を憤りながら、おめ々々として因循姑息に日を送り、徒らニ神風を待候儀、實に神州男児之耻ならずや。冀(こいねがわ)くは諸国忠憤之士、早く進退去就を決し、同心戮力(りくりょく)し、上は天朝に報じ奉り、下は幕府を輔翼し、神州之威稜、萬国に輝候様致度、我徒之素願全く此事にあり。東照宮在天之神霊御照覧可被遊、夫将た何をか陳せん。」(つづく)


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プロフィール

鯉渕義文

Author:鯉渕義文
1945年、那珂市生まれ。茨城大学教育学部を卒業後、教員として那珂湊水産高校、鉾田二高、太田二高などに勤務。退職し現在は桜田門外の変同好会代表幹事。

「情念の炎」上巻、中巻、下巻
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