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桜田門外の変「情念の炎」ブログへようこそ

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水戸城焼失と旧水戸藩士の鬱憤(1)

 明治2年の版籍奉還、同4年の廃藩置県の後、同五年七月に水戸城郭が火災で焼失するという事件が起こりました。初代茨城県令山岡鉄舟(明治4年7月~同年12月)、第二代県令山口正定(同4年12~同5年七月)の後、肥前大村藩士渡辺清(清左衛門)という人物が県令心得という立場で水戸に赴任しましたが、その7日後にこの事件が起きました。
 
 当時、無人の水戸城二ノ丸には、白書院、黒書院、大広間などが入った屋形の外に隅櫓、三階櫓、大手門、土蔵などの建物がありましたが、七月二十七日午前二時頃から四時間ほどで屋形のすべてが焼失し、明け方の午前六時頃に鎮火したと言われております。翌月には、城に放火したという嫌疑で水戸士族十余名が司法当局によって逮捕され、翌月には東京に護送されました。その後、相ついで旧水戸藩士が逮捕されましたが、その数は100人を超えたと言います。
 
 実は、この水戸城放火事件についての史料は今まで余り目にしませんでしたが、かつて水戸市史編さんにかかわった方が最近、この事件を取上げた本を出版されたのを知り、早速、連絡をとって貴重な研究成果を読ませていただきました。260ページほどの本ですが、この事件のみでなく、水戸藩および党争の歴史などを通して、その背景に迫ろうという画期的な内容が記されています。2年ほどの時間をかけて執筆されたと伺いましたが、大変参考になり深く感謝しているところです。
 
 一つの象徴的事件には必ずその背景があり、それを詳細に分析することによって事件にかかわった人物の思いが浮かび上がってくると思います。逮捕された旧水戸藩士の首謀者(巨魁)は廃藩置県後、県の要職にあった人物で、新たに設置された東京鎮台の兵士の内二小隊が水戸城に分営することになったことを快く感じていなかったようです。事件が、その二小隊が水戸に到着する日の早暁に起こったことが、その思いを証明しているようにも感じられます。
 
 逮捕された人物の具体的な内訳は分かりませんが、100余名が逮捕されたということは、当時の県庁官員の多くを占めていたとも想像できます。これによって県庁の要職にあった旧士族が一掃される引き金になったのかも知れません。県令心得として来水した渡辺清は、水戸城の焼失を早くから失火ではなく、「放火事件」と断定していたと言われています。
 首謀者は口を固く閉ざし、自白することはなかったようですが、年末になって逮捕されていた茨城県士族で権小属庶務掛であった人物の「仮申口(供述調書)」により、放火事件の全容が解明され、司法省は翌明治6年1月にその内容を正院宛に報告しています。後になって供述したことが仲間に知れ、ついには自殺したという内容が山川菊江著『覚書 幕末の水戸藩』でも触れられています。
 次回は渡辺清が県令心得として水戸に派遣された背景、当時の茨城県の実態などに触れてみたいと思います。
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プロフィール

鯉渕義文

Author:鯉渕義文
1945年、那珂市生まれ。茨城大学教育学部を卒業後、教員として那珂湊水産高校、鉾田二高、太田二高などに勤務。退職し現在は桜田門外の変同好会代表幹事。

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