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桜田門外の変「情念の炎」ブログへようこそ

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本日も、当ブログへアクセスしていただき、誠に有難うございます。皆様のお陰で、3年間にわたって挑戦してまいりました執筆活動も無事、終了することが出来ました。心より厚く御礼申し上げます。ブログでは、時折々に思いついたこと、感じたことなどを皆様方と対話するような気持ちで綴ってまいりますので、引きつづき宜しくお願い申し上げます。
  

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「桜田門外の変」156周年記念慰霊祭に参加して

  先週水曜日は3月3日、安政7年3月3日の「桜田門外の変」から丁度156年目の節目を迎えました。これに先だって土浦市八坂神社の本間様より恒例の慰霊祭を催す旨の案内状をいただきました。昨年は、友人のK氏と二人で参加させていただきましたが、今回は事前の了解を得て友人4人と一緒に参加することになりました。折角、土浦まで行くので途中かすみがうら市の「郷土資料館」に立ち寄ることに決め、少し早めに自宅を出発しました。
 
  この日は快晴でしたが、例年になく温暖な日和となりました。水戸で2人を拾って水戸東から高速道路に乗り、茨城空港口で降りて一般道路を霞ケ浦方面に向かいました。道路は混雑せず、スムーズに玉造に到着したので、休憩を兼ねて「大塲家住宅」を見学することにしました。大塲家にはいろいろな古文書が残っていて、昨年、それを翻刻した「大塲伊三郎京都本圀寺風雲録」と称する冊子を県立歴史館で購入しました。
  その一つが「一橋(慶喜)様御守衛日記」で、大塲伊三郎が「二番床几隊」の一員として活躍した様子が詳しく記されています。もう一つの「京都本圀寺御陣所民部大輔(徳川昭武)様御付日記」は同じように京都本圀寺を屯所として徳川昭武のもとで過ごした日々が記録されています。大塲家住宅に関しては公益財団法人の「大山守大塲家保存協会」が設立され、全体の管理がよく行届いています。
  資料によれば、大塲家には特別な役割があり、藩主が領内巡村する際の「御旅館」となったと言います。屋敷全部が藩主一行のために使用され、藩主は「御殿」と呼ばれる建物に宿泊しました。表門は御殿に所属することから普段は閉っていて「開かずの門」と呼ばれました。また、将軍の代替わりの時に派遣される諸国巡見使一行の本陣にも利用されたようです。

  見学後、玉造から霞ケ浦大橋の手前にある「霞ケ浦ふれあいランド」へ立ち寄り、近くの売店で昼食をとりました。この場所から見る筑波山の勇姿はいつ眺めても素晴らしいです。
  その後、大橋を渡って旧田伏村を通り抜け、高台に位置する「かすみがうら郷土資料館」に入って展示を見学しました。折よく学芸員のT氏がいらっしゃったので、志筑藩の詳しい様子を知ることが出来ました。因みに、幕末に活躍した新撰組隊士でのちの御陵衛士の「伊東甲子太郎」「鈴木三樹三郎兄弟」は志筑藩の出身です。

  見学終了後、郷土資料館から霞ケ浦沿いの道を西にむかい、午後二時半、目的地の八坂神社に到着しました。社務所の隣にある直会所には桜田十八士の直筆の手紙、和歌が飾ってあったので眼を通しましたが、草書で書かれているため内容を知ることが出来ませんでした。ただ、鯉渕要人の田伏村神官「宮本中務」宛ての手紙の写しは持っているので、これだけは理解出来ました。
  関鉄之介直筆の漢詩は目の覚めるような綺麗な筆致でしたが、これも残念ながら内容が分かりませんでした。その他、高橋多一郎および金子孫二郎の肖像画も展示されていて、その威風に圧倒されました。また、昨年同様、高橋多一郎所持の大刀と短刀が展示されていたので、手に持ってみましたが、その重さに驚かされました。昔の人は鍛錬されていたので何ともなかったのかも知れませんが、現代人、特に70歳を超えた者には重過ぎました。
  この刀は、アメリカにあったものを日本に戻したそうで、鞘には高橋多一郎の名前が入っていました。黒鞘の短刀は斉昭から拝領した代物だそうで、素人が見ても普通の拵えとは違っていました。

  3時半前、神殿に移り、慰霊祭が執り行われましたが、本間家の先先代が高橋多一郎の御子孫と昵懇であったことから、この慰霊祭は一回も欠かすことなく執り行なわれてきたと伺いました。本当に頭が下がります。例の刀も高橋家から譲り受けたと聞きました。さぞや桜田烈士もあの世から見守っていることと思います。
式典のあと、恒例の詩吟に合わせた剣舞、真剣を使った型、居合術などが披露されました。詩吟は二題ありましたが、佐野竹之介の「出郷の作」は参列者の涙を誘いました。居合術は水戸から来た若い方が三ケ所に置かれた竹などをつづけざまに斬り、参加者を驚かせました。
  この後、最初の場所に移動して直会(なおらい)が行なわれました。本間神官の挨拶、献杯についで、用意された焼餅、芋煮、香の物、日本蕎麦などを口にしながら懇談しました。途中、資料が配布され、一同でH氏による桜田十八士関連のお話を拝聴しました。大変よく勉強された方で、水戸藩の特徴、事件の背景、その後の経過、明治に至るまで要点を押えながら分かりやすく説明していただきました。
  桜田烈士の慰霊祭が今後も続いていくことを念じ、八坂神社を後にしました。友人たちも貴重な場に参加できたことを大変喜んで下さり、一緒に参列した甲斐があったと感謝する次第です。
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プロフィール

鯉渕義文

Author:鯉渕義文
1945年、那珂市生まれ。茨城大学教育学部を卒業後、教員として那珂湊水産高校、鉾田二高、太田二高などに勤務。退職し現在は桜田門外の変同好会代表幹事。

「情念の炎」上巻、中巻、下巻
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