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桜田門外の変「情念の炎」ブログへようこそ

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水戸天狗党受難、150周年を迎えて

加賀藩「永原甚七郎」武士道の情

  元水戸藩執政武田耕雲斎を首領とする天狗党一行八百余人が、自分たちの素志を徳川慶喜に訴えるため大子町から越前国新保宿の地に至ったのは、元治元年十二月十一日の夕刻だった。その距離は百里にも及ぶ道程で、中には雪中行軍のため霜焼けにおかされ、他の隊員に背負われながら山道を下って来た者も少なくなかったという。この時、一つ先の葉原村には、約千名の加賀藩軍勢が砲列をしき、武田一行を待ち受けていた。しかも、自分たちの主張を聞き容れてくれるものと期待していた慶喜が、追討軍の責任者であることを知らされて遂に進退極まり、加賀藩の軍監永原甚七郎を通して投降の意向を表明した。
  加賀藩は、武士の情けから投降した天狗党一行を敦賀の三つの寺院に収容し、食事は元より足袋、煙草、ちり紙の日常品から屠蘇、鏡餅まで提供するなど厚遇した。しかし、田沼意尊率いる幕府軍が敦賀に着くと状況は一変し、一行は手枷足枷をはめられ鰊蔵の中に監禁され、食事も一日握り飯一つと湯水一杯のみとなった。
  永原は、天狗勢を皆殺しにすれば天下の大損失と必死に訴えたが聞き入れられず、元治二年二月、ついに三百五十二人もの人が斬首されるという類例のない処刑が行われた。その後、かれは、自分が安易な武士の情けをかけたことにより、「水戸浪士に叶わぬ期待を抱かせてしまったのではなかろうか」と、悶々の日々を送ることになります。そして、明治5年2月、永原は自家の菩提寺である金沢石引の棟岳寺に「水戸義勇塚」を建立し、処刑された人々の冥福を祈りつづけたと言われています。自責の念に駆られた武士としての姿が浮かんでくるようです。

残酷な武田一族への仕打ち

  敦賀での処刑を知った国許の水戸では、3月5日、那珂湊の戦に参加した大発勢のうち、脱走して囚われの身となっていた三木源八郎42歳が、その子酉之介16歳と共に長岡原で磔刑に処せられたのをはじめ、この時十数人が同じく水戸城下の上町下町を引き廻されたうえ、長岡原で処刑されました。そして、3月25日には武田耕雲斎、山国兵部、田丸稲之衛門、藤田小四郎ら天狗党幹部の首級が江戸から回送になり、水戸城下と那珂湊に晒された上長岡原へ捨てられました。この日、耕雲斎の遺族で、かねて家屋敷を没収され、囚われの身となっていた妻とき子48歳をはじめ、子桃丸9歳、金吉3歳、孫の三郎15歳、同金四郎13歳、同熊五郎10歳を赤沼牢で斬罪に処し、とき子,桃丸、金吉は吉田原で梟首、三郎、金四郎、熊五郎は野捨てとなりました。なお耕雲斎の4女よし子12歳と長男彦衛門の妻幾子43歳(藤田東湖の妹)は永牢となり、よし子は明治元年に赦免となったが、下脚萎縮で障害者となりました。幾子は、慶応2年牢死。この他にも天狗党の幹部の遺族で連座する者がいましたが、いずれも牢死したと言います。

  最も悲惨だったのは武田耕雲斎の一族で、生き残ったのは四男源五郎(猛)14歳と長男彦衛門の嗣子金次郎(蓋)17歳の二人だけでした。源五郎は、敦賀への途次新保宿でひそかに助命のために連れ去られたといいます。金次郎は敦賀での処刑を逃れて遠島となったが、明治元年赦免され、5月全く身内のいない水戸に帰り、市川派に対する無差別の仕打ちをつづけることになります。源五郎は新保宿から京都に入った後、岡山で潜伏生活を送っているようです。彼については山田風太郎の「魔軍の通過」に登場するようですが、今のところ読んでいません。金次郎に関しましても、水戸に帰って来てから門閥派と見られる人物を次々に殺めることは広く知られていますが、敦賀あるいは佐柿での生活の実態は、余り分かっていないのが現実のようです。

福井の県民性に敬意

  小生は、この武田金次郎に大変興味を覚え、過日、福井県美浜町の教育委員会に電話を入れましたところ、若狭国吉城歴史資料館学芸員のY氏を紹介してくれました。早速、Y氏に電話を入れていくつかの質問をしましたところ、即答はできないが後日返事をするとの約束をして下さいました。すると数日後、メールが届き、質問に対する回答が寄せられました。大変、誠実さが感じられる内容で、短期間のうちに良くここまで調べられたものだ、とつくづく感心させられました。早速、同好会会長のN氏に報告をしますと、その内容に大変驚き、県立歴史館の学芸課長をはじめ、多くの関係者にメールを送り、Y学芸員の素早い対応を高く評価する旨を伝えてくれました。

  本年の10月9、10日、敦賀市では天狗党受難150周年を迎えた慰霊祭が開催される予定となっているようですが、ここまで水戸浪士を温かく見守って下さることに深い敬意の念を禁じ得ません。同日参加されるご遺族の方々の気持ちを察しますと、本当に涙が出る思いでいっぱいです。取り分け、武田家の御子孫にとっては、万感の思いが溢れているのではないと拝察する次第です。危機一髪のところで武田家の滅亡を憂い、源五郎の助命に一役買った加賀藩永原甚七郎の武士の情けを今後も伝えていかねばならないと思います。さらに、敦賀市ばかりでなく、生き残った武田金次郎らを准藩士として扱い、その屋敷まで建てて面倒を見ていただいた小浜藩、佐柿の方々にも深く感謝せずにはいられません。
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プロフィール

鯉渕義文

Author:鯉渕義文
1945年、那珂市生まれ。茨城大学教育学部を卒業後、教員として那珂湊水産高校、鉾田二高、太田二高などに勤務。退職し現在は桜田門外の変同好会代表幹事。

「情念の炎」上巻、中巻、下巻
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