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桜田門外の変「情念の炎」ブログへようこそ

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本日も、当ブログへアクセスしていただき、誠に有難うございます。皆様のお陰で、3年間にわたって挑戦してまいりました執筆活動も無事、終了することが出来ました。心より厚く御礼申し上げます。ブログでは、時折々に思いついたこと、感じたことなどを皆様方と対話するような気持ちで綴ってまいりますので、引きつづき宜しくお願い申し上げます。
  

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水戸藩尊攘激派の行動規範

  安政7年以降、水戸藩の尊攘激派は、「桜田門外の変」「東禅寺事件」「坂下門外の変」と立て続けに大きな事件を引き起こしました。「桜田門外の変」では、専制政治を推し進める井伊大老を討つことに成功したものの、本来の目的である薩摩藩兵の武装決起は不発に終り、事件の首謀者と目された高橋多一郎や金子孫二郎ら激派の水戸脱藩浪士たちの大半は、この世から姿を消すこととなりました。それに続く「東禅寺事件」や「坂下門外の変」では、遂に目的を達することが出来ず、徒労に帰すこととなりました。しかし、失敗したとは言え水戸脱藩浪士を中心とするこれらの行動は、同じ時代変革の志を抱く西南雄藩の志士たちに多大なる影響を与えたものと推察できます。
 そもそも尊い命を投げ打ってまで、彼等を駆り立てた主な要因は、一体どこにあったのでしょうか。「桜田門外の変」の場合、思いも寄らぬ大雪によって大老を討つという目的は辛うじて果たせましたが、もともとこの挙に加わった脱藩浪士たちは、最初から命を捨てる覚悟で臨んだことは、鯉渕要人の遺書等によっても明らかです。その後の事件は、まさに覚悟した通りの結果となってしまいました。以前、再三にわたって触れましたように、彼等の心中には、前の水戸藩主徳川斉昭が説いた尊王攘夷の理念に基づき、神州の国体を異人によって穢させてはならないという並々ならぬ決意がありました。神州を穢されては武人としての面目がたたない、というのが彼等の一致した行動規範であったように思います。
後世の我々が、斉昭の攘夷論は決して無謀の攘夷をすることではないというのは簡単なことですが、当時の切羽詰まった時代の中では、そのような余裕はなかったのではないかと察せられます。特に水戸藩の場合は、徳川家を輔翼しなければならないという立場であったため、他藩の志士たちより幕政改革に対する意識が強かったように思います。日本が未曾有の困難に瀕している時、彼等はそれを傍観することに耐えられなかったことは、様々な文書で明白に述べられています。徳川の政治を一手に任せられている幕閣に対して、痛烈な批判を浴びせていることからもそれを容易に理解することが出来ます。
 もう一つ欠かすことの出来ない視点は、水戸藩は尊王主義であると同時に徳川を支える主要な一員ですから、当然、敬幕的な立場も無視する訳には参りません。日本が安泰でいた時代は「尊王敬幕」でも何等不都合がありませんでしたが、外国からの威圧を受けるようになってくると、事態は次第に深刻さを増してくるようになります。幕末の水戸藩の悲劇は、結果的に見てまさに尊王敬幕という矛盾が一気に噴き出す時でもありました。当初、慶喜自身が描いた大政奉還後の青写真と西南雄藩が目論んでいたそれとは全く相いれない厳しいものでした。結果的に水戸藩の尊王主義が逆利用され、天皇を担いで討幕を主張する薩長の思惑に沿った形で時が過ぎていくことになります。

 「桜田門外の変」後、水戸藩有志は長州と「成破の密約」を結びましたが、当時から水戸藩激派の有志は、親藩としての水戸藩の限界を想定し、新しい時代を創るためには、古いものを破壊しなければならないという想いが心の中にあったのではないかと察せられてなりません。勿論、倒幕という意思もなく、天皇主導の政治で神州に武威を輝かすことを熱望していたように思います。從って、尊攘派の行動を見る時、つねにこの意識が働いていたからこそ、命を捨てることを厭わずに突き進めたのではないでしょうか。「桜田門外の変」「東禅寺事件」「坂下門外の変」等々は、冒頭で徒労に帰することになったと述べましたが、これらの事件によってやがて幕府の権威は地に堕ち、新しい時代を模索する環境が整っていったという点では、決して徒労などではなく、明治維新に繋がる大きな原動力になったといっても過言ではありません。
 水戸藩が時代変革の踏み台になるという確固たる信念は、尊攘派二世にも引き継がれ、天狗党挙兵という形で実現の運びを見ることが出来ます。かれらの心中には、成敗得失を度外視するという信念に貫かれていたことは、様々な言動を持ってうかがい知ることが出来ます。大子から敦賀まで向かった彼等の胸中には、今までの小説等では計り知り得ないものがあったような気がしてなりません。少なくとも戦後教育を受けて育ってきた世代では、それらを容易に理解することは出来ないというのが、小生の持論です。しかし、彼等が受けて来た教育、思想等々に真摯に眼を向けていけば、その一端ぐらいは知ることが出来るのではないかと考え、昨年10月から各種史料を収集し、今日に至っております。目標としては、水戸市史をはじめ40冊前後の関係本に眼を通さなければならないので根気のいる仕事になります。現在までに目標の半分をクリアしましたので、残り半分に向けて挑戦しようと決意しているところです。そのためには心身の鍛錬が欠かせませんので、一日約一時間の散歩や自転車乗りを着実に実行して行きたいと思っています。
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プロフィール

鯉渕義文

Author:鯉渕義文
1945年、那珂市生まれ。茨城大学教育学部を卒業後、教員として那珂湊水産高校、鉾田二高、太田二高などに勤務。退職し現在は桜田門外の変同好会代表幹事。

「情念の炎」上巻、中巻、下巻
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