FC2ブログ

桜田門外の変「情念の炎」ブログへようこそ

                 桜田門外の変「情念の炎」ホームページはこちら
本日も、当ブログへアクセスしていただき、誠に有難うございます。皆様のお陰で、3年間にわたって挑戦してまいりました執筆活動も無事、終了することが出来ました。心より厚く御礼申し上げます。ブログでは、時折々に思いついたこと、感じたことなどを皆様方と対話するような気持ちで綴ってまいりますので、引きつづき宜しくお願い申し上げます。
  

FC2ブログランキング
←ご協力お願いします

新聞記事から 「市川勢の軌跡 28・29」

戦いを支えた人々

 《水戸藩で家老職を務めた市川勢の幹部は、家族とともに転戦した。市川三左衛門は、長男主計が弘道館の戦いで御杉山にて戦死。朝比奈弥太郎は、養子靱負とともに八日市場で戦死。大森弥三左衛門は会津で戦死、弟の金六郎は銚子で戦死。筧助大夫は弟平十郎とともに八日市場で戦死。(助大夫は文献には戦死とあるが、墓碑には明治二十九年没とある)。 佐藤図書は越後寺泊で病死、長男主税、四男留男は八日市場で戦死した。
  主従で戦った者も多い。猪西貞之助は越後与板で平介ら従者四人と戦死。井上和次郎も越後馬頭で鉄吉ら従者四人と戦死。先手同心頭の児玉園衛門は、弘道館の戦いに敗れ、八日市場を目指す途中、長岡村(茨城町)で捕まり、同村の刑場で磔にされた。市川勢が三月に水戸を出るとき、児玉から知らせを受けて奥州に逃れ、その後市川勢に合流した小中村(常陸太田市)の郷士佐川民三郎は、児玉より早く会津で捕まり、明治四年に水戸の獄中で病死した。》

各地で散った一族たち

 《郷士といえば、佐川のほかに大子村(大子町)の黒崎藤右衛門、益子民部左衛門、飯村紀七郎、鷲子村(常陸大宮市)の薄井友衛門など各地から市川勢に参加していた。益子は、家族とともに最後まで転戦し、八日市場で戦死した。飯村は、市川勢本隊と馬頭で分かれ、七番組の大目付猪飼伝衛門について大子に戻る。ここで再起を図ろうとするが、叶わず、金品を奪って野州(栃木県)に逃走する。その際、猪飼は鉄砲で撃たれて戦死。薄井は、会津で死んだという説と、最後の将軍慶喜について静岡に行ったという説がある。弟の謹之進は会津で戦ったあと函館の五稜郭で戦死した。市川勢ではほかにも五稜郭で戦っている者もいるので、全員が水戸を目指したわけではないようだ。薄井の親類には北越で戦死、あるいは自刃している者もいる。
  諸生派の代表的存在ながら市川勢に加わらなかった城代家老鈴木石見守の家来のなかには、市川勢とともに戦った者もいる。越後で戦死した鈴木鉄五郎、丸山善次ほか四、五人。前回、「消えた隊長」として紹介した伊藤辰之助は、二十数人の仲間と桑名藩神風隊に加わり、庄内藩兵とともに会津から鶴岡に入っていた。そして、鶴岡城下に近い大山の民家にかくまわれたが、明治二年以降は不明だ。》

三左衛門の最期

 《十月六日の八日市場での最終戦に敗れ、一人東京に逃れた市川三左衛門は、三女徳が嫁いだ芝三田の宝徳寺に身を寄せる。身元を隠すため久我三左衛門と変名。その後、青山百人町の剣道師範島上源兵衛宅に潜伏した。水戸藩は、市川の行方を必死に探し、潜伏先を突き止め、明治二年二月二十六日夜、水戸神勢隊が島上宅で市川を捕縛する。そのときの様子が明治二十七年一月と二月の史談会記録に記されている。答えたのは、天狗党出身の小又慶二郎。
  「隊長の村上快助が、水戸から来たとはいわずに尾張からだといって島上に面会した。(水戸と察した)島上は、家で縄をかけないでくれといい、市川を連れて来た。短刀を携えて出てきた市川に腰縄をかけ、家から引き出した。豪雨だったが、傘もささず、ずぶぬれで歩き、水道橋の入墨御門の前まで来たとき、市川に覚えがあろうと言うと、驚いた様子で足が動かなくなった。市川は痛いということを知らない。打たれても一向に平気で、責めが済んでから好きな物を食わしてやるというと、鰻飯が食いたいといい、食わせると縛られながらむしゃむしゃ食った」》

明治2年に逆さ磔で処刑

 《水戸に送られ、四月三日、上下町を引き回しのうえ、長岡の刑場で史上まれな逆さ磔により処刑された。その寸前に「勝負はこれから」と絶叫したという話がある。時に五十三歳。墓は水戸市の祇園寺にある。この日、長岡では市川勢ではないが仙台で降伏した吉野英臣ら諸生派の五人が斬首され、市川勢の佐藤万衛門ら四人が磔で処刑された。市川の妻幾志は、長男主計の妻とともに水戸の獄舎に繋がれるが、後に出獄を許され、武田金次郎の目を気にしながら百一歳の天寿をまっとうした。
  幾志は、後日「実は夫はフランスに逃げるつもりで準備していたが、外国船の出航が一日遅れたため捕まった」と述べている。市川家には、三左衛門が海外生活のために独習したというドイツ語、化学、数学などの原稿が残っている。遺品のなかに辞世の歌もある。幕末から明治にかけて藩内抗争を戦い抜いた市川は、万感の思いを込めて詠んだのだろう。

「君ゆえにすつる命はおしまねど忠が不忠になるぞ 悲しき」》
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

鯉渕義文

Author:鯉渕義文
1945年、那珂市生まれ。茨城大学教育学部を卒業後、教員として那珂湊水産高校、鉾田二高、太田二高などに勤務。退職し現在は桜田門外の変同好会代表幹事。

「情念の炎」上巻、中巻、下巻
 「情念の炎」下巻
この本を購入する
茨城県内一部店舗で販売しています
義援金募集
FC2「東北地方太平洋沖地震」義援金募集につきまして
FC2はユーザーの皆様から募金を募り義援金として支援を実施いたします。
映画「桜田門外ノ変」
桜田門外ノ変映画予告編 桜田門外ノ変メイキング 主題歌alan/悲しみは雪に眠る
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
カウンター
リンク
検索フォーム
QRコード
QR