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桜田門外の変「情念の炎」ブログへようこそ

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新聞記事から   「市川勢の軌跡 22・23」

水戸城下の戦い

  《九月二十九日夜、谷中から城下に進攻した市川三左衛門率いる一隊は、市川家の墓所祇園寺を左手に見ながら下金丁から上金丁に入る辺りで、水戸藩付家老の山野辺主水正(義芸)率いる部隊と激突。北越、会津で修羅場を経験した市川勢が優勢となり、山野辺隊は城内に撤退した。市川隊が谷中から本道に出た所で、最後尾にいた側用人荻庄左衛門、勇太郎親子は、隊と反対方向に行き、間もなく菩提寺の本行寺(上水戸)に着く。庄左衛門は、そこで母親に遺書を認め、祖父の墓前で自刃。勇太郎も後を追う。遺書には水戸への帰路、左手に銃弾を受けたため皆に遅れ一人になり、身体不自由のため自刃の覚悟をしたとある。もう戦えないし、足手まといにならぬよう自決したと受け取れる内容だ。荻親子が自刃した時期は、市川勢が十月二日に水戸を去るときという説もある。また、自刃の理由を水戸城下に入ろうとする市川に対して、墳墓の地を汚すべきではなく帰順を主張したが受け入れられなかったからとの見方もある。いずれにしても、やっと水戸に戻りながら自ら死を選んだ荻親子は哀れというほかはない。》

志水隊、城内突入し全滅

  《十月一日未明、市川勢は鬨の声を上げて水戸城に迫った。市川らは城下北側を攻め、北郭見附門(現在の茨城新聞社辺り)を破り、大手門まで追う。藩兵らは大手門を閉ざし、城内から銃撃を加え、市川らは反対側の弘道館に入って応戦。那珂川に沿った御杉山に陣取った朝比奈弥太郎隊は、急な坂の上にある柵門を目指して駆け上がる。この一隊には旧幕府軍や長岡藩兵もいた。旧幕府軍は「徳川再興」と書いた大旗を押し立てたが、藩内抗争とみて戦闘にはほとんど加わらなかった。藩兵らは、ここを落とされては城内に入られるとあって必死に防戦。このため、攻め切れずに朝比奈隊は市川らのいる弘道館に向かう。激戦で、市川の長男主計ほか戦死者が出た。
  朝比奈隊の若い志水陸一郎は納得できず、市川と朝比奈に「今なら城内は兵が少ない。兵が集まる前に城内に攻め込む」と主張した。無謀と拒否された志水は、同士十数人を連れて御杉山に戻ると、西端の城壁をよじ登り、城内に突入。かなりの藩兵を倒すが、次第に追いつめられ、全員殺された。》

弘道館の総力戦

  《十月一日(新暦十一月十四日)は、朝から快晴で西風が吹いていた。市川勢が水戸城を攻撃したのは午前四時ごろ、大手門や御杉山柵門から突入を図ったが、守りが固く、城内に入ることはできず、主力は藩校弘道館に集まり、大手橋を挟んで対峙した。城下で戦っていた藩兵らは午前十時ごろには、市川勢がいない城南の柵町柵門から城内に戻り、城内は藩兵で埋まった。熱気が高まるなか、城内から弘道館に鉄砲がしきりに撃ち込まれ、弘道館側からも城内に向け発砲。その一部は前藩主夫人などの居室の庭にも着弾した。
  本圀寺勢の鈴木縫殿ら藩重臣は、軍議のうえ午後四時に三方から総攻撃することを決めた。一隊は、大手門から弘道館正門を破る。一隊は、柵町御門から弘道館の南柵門に向かう。一隊は御杉山柵門から弘道館の北柵門を目指す。三方から一斉に弘道館に突入し、市川勢を全滅させるという戦術だ。そして午後四時。大手門が開き、多くの藩兵が鬨の声を上げながら大手橋を渡り、弘道館正門に殺到した。》

1時間で両軍385人が死傷

  《正門脇の通用門を破ると、次々に中に。二手に分かれ、一手は北側の文館に、一手は南側の武館に進む。文館に向かった監府隊百余人を率いたのは目付鮎沢伊太夫。天狗党西上に加わり、途中離脱し、備前国から京都に出て、本圀寺勢と帰国。第一次市川勢追討軍の一員として白河に出向いた鮎沢は、敵弾を胸に受けて戦死した。その間に、弘道館の南と北からも藩兵が繰り込み、弘道館内の各所で市川勢と激闘となった。市川勢と馬頭で戦った久米鉄之進は、再び刃を交えるが戦死。数に劣る市川勢はじりじりと後退、西側の調練場(旧県庁舎)辺りまで追い詰められたところで夕暮れとなり、山野辺邸(茨城新聞社)に総退却する。弘道館の南側に並ぶ重臣の屋敷は、城内から撃ち込まれた砲弾により火災を発生、折からの西風で市川三左衛門の元屋敷(水戸駅辺り)まで七軒が焼失した。
  この戦闘は約一時間で終わったが、戦死者は市川勢九十人、水戸藩側は八十九人に上った。戦傷者は水戸藩百三十人、市川勢は七十八人。捕縛された市川勢は十一人だった。彼らは、後に全員処刑された。》
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プロフィール

鯉渕義文

Author:鯉渕義文
1945年、那珂市生まれ。茨城大学教育学部を卒業後、教員として那珂湊水産高校、鉾田二高、太田二高などに勤務。退職し現在は桜田門外の変同好会代表幹事。

「情念の炎」上巻、中巻、下巻
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