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桜田門外の変「情念の炎」ブログへようこそ

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新聞記事から 「市川勢の軌跡 12」

 灰爪・市の坪の戦い

  《市川勢は、五月六日の椎谷・宮川での新政府軍との戦いで初めて死傷者を出した。これに前後して、佐渡に渡っていた筧助太夫の部隊を呼び戻す。筧隊が加わり、市川勢は戦闘態勢を整えたといえよう。椎谷方面で敗退した市川勢は、五月十四日の灰爪・市の坪の戦いでも犠牲者を出す。戦死者六十五人、負傷者九人。戦死者の中には、筧の弟平三郎や郡奉行岡野荘七郎、大森弥三左衛門の実弟で結城寅寿の名跡を継いだ小姓頭取結城七之介のほか神官、郷医など農村の有志なども。》

激闘で65人が死亡、退却

  《この日の戦闘の様子を、出雲崎夜話は次のように記録している。
  「五つ頃(午前八時)から雨が晴れ曇天となりました。官軍はズンズン進んで別山口を守っている水戸勢へ間道から不意に攻撃を加えました。水戸勢は刈羽と三島の分水嶺を固め、此所を破られては大変だと必死の防戦につとめています。椎谷に対陣して此所を先途に防戦していた水戸勢の本隊は、内郷が破られ背後を断たれる恐れが生じたので、急に引き上げ石地から出雲崎に退却します。  
  一方、別山口の水戸勢もいよいよ負戦となり、市の坪正法寺へ火を放ち総崩れに崩れて脇野町、出雲崎の両方面へ潰走します。正法寺は炎焔燃拡がって隣家へ延焼している中を、戦友の首を大事そうに油紙に包んで背負って逃げる者もあり、槍先へ官軍方の生首を串刺しにして勇ましげに駆来るもあり、互いに傷兵を載せ二人肩で運び来るもあり、戦友を背負うて汗水泥になって這々の體で逃げ来るもの、まるで百鬼夜行の有様でありました。
恐怖と混乱のうちに五月十四日は暮れていく。日没後、水戸勢は長らく厄介をかけた此町へ、もし陣屋の火が延焼したら無辜の町人は甚だ気の毒に忍びないというので、形式的に陣屋の前で焚火をしたのみで退却したとのことであります。寺泊も長岡もみな焼き払われ一物も残さなかった悲惨さから思えば仕合せであったと喜ばねばなりません」
  市川勢は、十四日から十五日にかけ出雲崎から寺泊、弥彦に退却する。十五日は、反政府軍の拠点長岡城が陥落。江戸では、上野において彰義隊が討伐された。》

◇参 考(水戸市史より)
  市川勢は、会津勢とともに各地で敗れ次々に兵員を失っていきましたが、特に五月十四日の市の坪(新潟県出雲崎町)・灰爪(同西山町)方面での戦闘の死傷者が最も多かったようです。優勢な新政府軍に対し、この方面の主力は市川勢で、これに会津藩兵の数隊が加わっていました。五月十三日、会津藩兵(二小隊か)と市川勢は、椎谷の北東七キロ地点にある灰爪に布陣していました。新政府軍は、最大の目標である長岡城攻略を前に、その側背にある敵を討たねばならないとして、迅速意表に出る攻撃を仕掛けたため、不意をつかれて市川勢・会津勢は敗走したと言われています(大山柏著「戊辰役戦史」上)。
  本文中にあるように、この戦いで市川勢は65人の戦死者と九人の負傷者を出しました。その中には藩士ばかりでなく神官、郷士、郷医といった農村の有志も交ざっています。なかでも久慈郡和久村(旧水府村)の郷士で、早くから行方を暗ましていた後藤吉兵衛の名が見えることが注意を引きます。
  さて、越後における反政府軍の拠点長岡城が、新政府軍の手によって陥落したのは、市川勢が敗退した翌日(五月十五日)のことでした。その後、長岡城は同盟軍によって一時奪還(七月二十四日)されましたが、同二十九日には再び落城してしまいました。これより先の七月四日には秋田藩が同盟を脱退し、新政府軍によって磐城の平城や三春城、二本松城などが相前後して政府軍の手に落ちるなどして、同盟軍の敗色は次第に深まっていきました。

【五月十四日の灰爪・市の坪の戦いでの戦死者等(水戸藩殉難者名簿より転記)】

  阿部惣太郎(中奥番)、飯村広蔵(用部屋留付列・病死?)、石川源次郎(郡奉行)、磯野理三郎(徒士目付)、伊藤銀蔵 今村喜左衛門、岩崎勝次郎、岩間醒次郎、岩間善吉、氏川安三郎、宇野秀五郎(与力)、海野数馬、海野志摩(神職)、海野捨之介(郷医)、大内建蔵、大木藤一郎(小十人)、大森其太郎、岡崎荘七郎(郡奉行)、岡崎大次郎、岡崎藤衛門、奥岩勘介(負傷後不明)、尾羽権次郎(徒士目付)、算平三郎、片山丑三郎(小十人)、加藤幸吉、加藤太郎兵衛(負傷後死)、鴨志田孫三郎、川勝清太郎(負傷後死)、君島百平、木村仙太郎、草根勤三、桑名九三郎(留守列郡方勤)、小池兼蔵(先手同心)、小薗兼次郎、後藤吉兵衛(郷士)、後藤粂之助(郷士)、後藤郡司、小西清八、小松崎次郎兵衛(負傷後死)、斎藤源太郎、斎藤道順、佐々末吉、笹沼醒次郎、沢田源八郎、白石熊弥太、杉田三人、杉山七次郎、杉山松之介(徒士目付)、鈴木四郎太夫(小十人)、鈴木新五郎(目付方下役)、鈴木貞蔵(負傷後死)、鈴木鉄一郎(大番)、鈴木半七、鈴木祐蔵、鈴木庸之介(先手同心)、武寅之介、千賀惣太郎、辻島健蔵、田口準之介、豊島久兵衛、中村乙三郎、長山長三郎、根本宗衛門、橋詰酉松、橋本小三郎(中間頭列郡方勤)、塙富太郎(与力)、林又次郎、引田政平、平戸直藏(町同心)、平山辰之介、福田律蔵(小十人目付)、星左五郎、堀江荘次郎、増子弥平太(郷士)、松尾龜八(目付方下役)、松尾辰蔵(徒士目付・後會津で戦死とも)、松本富吉、丸山善次(鈴木石見家来)、宮田三郎介(先手同心頭)、宮地蔵介、三代造酒之介(先手)、谷田部八介(小納戸役)、弓削左内(使番)、吉村真三郎(馬廻)



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プロフィール

鯉渕義文

Author:鯉渕義文
1945年、那珂市生まれ。茨城大学教育学部を卒業後、教員として那珂湊水産高校、鉾田二高、太田二高などに勤務。退職し現在は桜田門外の変同好会代表幹事。

「情念の炎」上巻、中巻、下巻
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