桜田門外の変「情念の炎」ブログへようこそ

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約50年ぶり(高校卒業後)の友との対面

 本年も、残すところ一週間余となってしまいました。年齢のせいか、歳を重ねるごとに一年が過ぎるスピードが殊更にはやく感じられる今日この頃です。小生が20代の頃、ある方からこのようなお話を伺ったことがあるのですが、今は、小生自身が、正に実体験の中で感ずる年齢となって久しい。しかし、年金の支給日などを考えると、必ずしも時がはやく過ぎている訳ではないので、客観的時間と実感する時間には、相当の隔たりがあるようである。
 小生の人生は、1昨年の10月、奇しくも「桜田門外ノ変映画支援の会」が主催した「桜田ツアー」で城里町郷土歴史家のN氏との出会いから大きく変わったことになる。このことは、人生、いつ、どこで変わるのか分からないという一つの証明のようなものでもあろう。ある人との出会いが不可思議な縁となり、想像もしなかった道を歩むことになった。桜田ツアーは、参加希望者を募って大型バスで東京の愛宕山に出掛け、そこからあの桜田烈士の足取りを追って歩くというイベントで、大変、興味深いものだった。バス利用されない参加者は、直接、現地集合となった。
 
 ツアー当日、バス利用のメンバーは、朝早く茨城県庁の駐車場に集合した。映画支援の会の谷田部事務局次長が出欠点呼を確認し、元気のよい挨拶をされた。あの時、まるで、自分たちが襲撃に参加するような高揚感を感じたものである。小生は、後ろから五列ぐらいの席に座り、隣席の方に「ひたちなか市から来た鯉渕と申します。今日一日、どうぞ宜しく御願いします」と、自己紹介をした。その時、前列の補助席に座っていたN氏が後ろを振り返り、「あの桜田烈士の鯉渕要人関係の方ですか?」と質問された。小生が「そうです」と返事をすると、彼は、「愛宕山に着いてから、お話したいことがあります」とポツリとおっしゃった。このちょっとした会話が、今考えてみると小生の人生を大きく変えた一言となったのである。
 愛宕山に到着の後、N氏から、地元出身で「桜田門外の変」に関わった人物を事細かく調べていることを聞かされた。鯉淵要人、増子金八、加藤木賞三、黒澤ときは勿論、事変に関わりのあった藩士やその御子孫たちの動向などにも深い関心を持ち、ご自分が収集された資料などを関係者に送る活動を現在でもつづけていらっしゃる。小生も、執筆に当たっては、N氏からの資料を多いに活用させていただいている。この日の模様は、当日夕方、NHK水戸放送局のニュースで放映され、大きな話題となった。先日、ある方との電話の中で、このことが懐かしく思い起こされた。
 
 小説の執筆作業に取組んで以来、旧水戸藩士の御子孫の方々をはじめ、桜田事変の関係者の末裔の方々と交流できる機会があり、いろいろなことを学ばせていただいた。いずれも高齢の方が多かったが、人生経験も豊かで、生涯の思い出に残る一ページとなった。つい最近も思いがけない出会いがあり、深い感銘を受けた。
 小説の下巻に登場する予定人物の一人に、「後藤哲之介」という人物がいる。かれは、水戸領北郡和久村(前久慈郡水府村和久・現常陸太田市)出身の郷士で、安政年間に水戸藩が推進して作り上げた町田郷校とも深く関わっていたようである。先月、元水戸藩士の関係者とお会いした折、常陸太田市の後藤家とは姻戚関係になっており、現在、後藤哲之介の御子孫が一人でその地に住んでいらっしゃるという話を伺った。よくよく話をお聞きすると、御子孫の方は、親子共々、高校教師をしていたといい、具体的お名前を教えていただいた。父親の方は、何と、小生が高校時代の国語教師で、長男は小生と同級生でもあり、更にクラスも一緒だったI君である。かれは、6年前まで小生の勤めていた太田二高校からさほど遠くない佐竹高校の国語教師をしていた。
 
 先週、丁度、常陸太田市に行く予定があったので、併せて、彼の自宅を訪問することになった。高校卒業以来の対面で、およそ50ぶりとなる。最初は、突然の訪問に驚いていたが、少し話しているうちに思い出してくれ、ご先祖の事についても快くいろいろと説明していただいた。遠い昔の系図も見せていただいたが、近世の後藤家の家系図は、よく知らないという。後藤本家は、永いこと庄屋を務めており、後藤哲之介は、その分家筋に当たる方だと言う。選りにもよって、あの有名な後藤哲之介の御子孫が、小生と高校の同級生であったことに、これ又、不可思議な縁だと驚かずにはいられなかった。
 1時間にも満たない時間ではあったが、最後に手土産をいただいて帰途についた。後藤家に関する関係資料は公の機関に提出しているので、水府村史を、是非、見ていただきたいとのご指示をいただいた。
 後藤哲之介は改革派郷士で、同士と共に斉昭の雪冤運動に積極的に参加し、桜田事変の際には、地元の富豪たちから活動資金の調達をする中心者として動いたと言われている。彼の最期は、既にご承知の方もいらっしゃると思うが、自らを桜田烈士の広木松之介と名乗って投獄され、絶食をして31年間の人生を終えた方である。詳細については、下巻の中でご紹介申し上げたい。

 予定通りに進めば、仕事も来年の今頃には、まとめとなる下巻が完成することになるが、この間、どのような新しい「出会い」があるのか、非常に楽しみである。

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プロフィール

鯉渕義文

Author:鯉渕義文
1945年、那珂市生まれ。茨城大学教育学部を卒業後、教員として那珂湊水産高校、鉾田二高、太田二高などに勤務。退職し現在は桜田門外の変同好会代表幹事。

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