桜田門外の変「情念の炎」ブログへようこそ

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本日も、当ブログへアクセスしていただき、誠に有難うございます。皆様のお陰で、3年間にわたって挑戦してまいりました執筆活動も無事、終了することが出来ました。心より厚く御礼申し上げます。ブログでは、時折々に思いついたこと、感じたことなどを皆様方と対話するような気持ちで綴ってまいりますので、引きつづき宜しくお願い申し上げます。
  

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未来のために、過去に学び、自分の生き様を楽しんで設計しよう!

  小生の第二作「烈士たちの挽歌」出版記念祝賀会から、早三ケ月が経過してしまいました。この間、何人かの方から激励のお手紙や葉書などを頂戴し、大変嬉しく思っています。全くの素人が書いたものでも読んで下さる方がいらっしゃることにただただ深く敬意を表すばかりです。プロが手掛けた作品とは大きく違い、読者はそう多くはありませんが、深く関心を寄せて下さる方がいらっしゃること、大変有難い限りです。
 読者層は大きく分けると、二通りあることが分かりました。一つは、ご先祖が水戸藩の歴史に直接、間接的に関わっている方で、もう一つは幕末の水戸藩の歴史に興味を持っている方のようです。前者の特徴は、主に門閥派あるいは尊攘鎮派に属した方を先祖に持つ方が今回の第二作に注目していたように思われます。書き手である著者が、自分たちの祖先をどのように扱っているのか、ということに着目しているのかも知れません。今回、大変嬉しいことに、門閥派の重鎮(家老、側用人)のご子孫からお手紙を頂戴したり、ご自宅を訪問して懇談する機会がありました。いずれの方々もご先祖に誇りを持っていらっしゃる方々ばかりです。元家老筋のご子孫とは来月懇談する機会を設けて下さることを約束して下さり、お会い出来ることを楽しみにしています。

 後者における今回の特徴は、女性および比較的若い世代の方々が興味を示して下ったことです。これは小生にとって大変嬉しいことであり、出来るだけ多くの方々と懇談の機会が得られるよう努力していきたいと思っています。共に歴史を学ぶことは、大変重要なことだと思っているからです。因みに、私たちひたちなか市の第一中学校区内に住む人で構成する「楽歴会」(月に一度集まる歴史学習会)に、最近3人の女性が加入しました。雰囲気も大分変り、講座の担当者も意気込みを新たにしています。また、今月は別の女性グループに招かれ、水戸市内で歴史学習会を持つことが出来ました。今後、数回に分けて水戸藩幕末の歴史を学習する予定になっています。
 先日、郵送されてきた「友の会(退職教職員の会)だより」には、― スペシャルインタビュー ― 歴史を学ぶ意義、と題する小和田哲男(歴史学者)さんの記事が掲載されていました。以下にその内容を紹介したいと思います。

未来のために、過去に学び、自分の生き様を
楽しんで設計しよう

 
  大河ドラマなどの歴史番組の時代考証や解説を通して、戦後史の面白さを発信している小和田哲男さんに、歴史の陰から見えてくる史実の醍醐味を語ってもらいました。

″歴史博士″の称号をいただく

  歴史上の武将たちの生き様、合戦の駆け引き、合戦の舞台となった城の仕掛けなど、戦国史に興味を抱くようになったのは、小学校の頃の出来事が始まりです。母親が結構な歴史好きで、家には歴史の本がたくさんありました。テレビもない時代でしたから、母親がよく歴史の話をよくしてくれて、小学校低学年ですでに歴史に興味を持っていました。
  小学校5年生の授業で、先生が黒板に「人」という字を書いて、熟語になると「人」を「うど」と読むと教えてくれました。先生は「狩人」を例に挙げ、「他に知っているか?」と問われた時、私は、「落人(おちうど)」を知っていたので、恐る恐る手を挙げて答えました。先生に「どういう意味だ」と聞かれたので、「源氏と平氏の戦いで、負けて山奥へ逃げて行った人たちのことです。今も子孫がいます」と答えました。先生は、「小和田は歴史博士だな」と言ってくれて、そのことが嬉しくて歴史だけは他に負けまいと決心しました。

民衆の視点で、戦国時代を洞察する

 ところが、大学では「歴史好き」だけでは通用しないと先輩たちから教わりました。合戦で勝った負けただけでなく、武将たちがどのようにして勝つための戦略を練ったのかが大事だと。平たく言えば、富国強兵がヒントです。戦いに勝つためには国を豊かにしなければなりません。武将たちの国を豊かにする知恵を掘り出そうという思いで、修士論文は「戦国大名の経営手腕」をテーマにしました。
「民衆の立場で歴史を診ろ」と先輩たちからアドバイスを受け、戦国史を戦う武将ではなく、民衆の立場で研究することで視野が広がりました。所謂、社会経済史的な研究の視点をこの頃に身につけたと思います。
 
歴史の陰に光を当て、史実を伝える

 歴史は勝った側が都合よく書き残します。その例が太田牛一の『信長公記』です。織田信長の家臣が残した信長の伝記なので、主人の傷になるようなことは書かれていません。そのことに気がついたのは、安土城築城のシーンです。『信長公記』には、信長様のお知恵で容易く大きな石を上げたとだけ書いてあります。ところが、宣教師のルイス・フロイスが残した「日本史」には、大きな石を上げる際、片側に石が滑り始めたため石の下敷きになって150人が死んだと書かれています。
  これは同じ石のことでしよう。信長は、事故を隠ぺいしています。だから、この部分だけでなく、他にも隠ぺい工作をかなりしていると考えられますから、隠されている部分にも光を当てないと本当の歴史は描き出せないと思っています。今川義元、明智光秀、石田三成など、どうも世間から「軟弱だ」とか、「バカなことをやってんだ」と言われる武将に親近感を持ち、シンパシーを感じます。負けた側の書き残せなかった無念さを晴らしてあげたいと思います。 

※2020年東京オリンピックの年  NHK大河ドラマ第59作「麒麟がくる(明智光秀)」
  「麒麟がくる」は、大河ドラマの原点に戻り、戦国初期の群雄割拠の戦乱のなか、各地の英傑たちが天下を狙って、命をかけ愛をかけ戦う、戦国のビギニングにして「一大叙事詩」です。
  脚本は、第29作「太平記」を手がけた池端俊策のオリジナル。大河ドラマとしては初めて智将・明智光秀を主役とし、その謎めいた前半生に光があてられます。物語は、1540年代、まだ多くの英傑たちが「英傑以前」であった時代から始まり、丹念にそれぞれの誕生を描いていきます。若き明智光秀、織田信長、斎藤道三、今川義元、そして秀吉が、家康が、所狭しと駆け巡る… 「麒麟がくる」―新たな時代の大河ドラマの始まりです。

歴史を学び、歴史に学ぶ

  越前の戦国大名・朝倉氏の家臣の一人、朝倉宗滴(そうてき)が記した「朝倉宗滴話記」は、みなさんに読んでいただきたいと思います。その中に「巧者の大将と申すは……」とありまして、「名将と言えるのは、大敗北をした者だ」と書き残しています。それに一番当てはまるのが徳川家康です。1572年12月、浜松の三方ヶ原の戦いで負け戦をしました。しかし、それから家康の家臣への接し方が変わり、自分の身代わりで死んだ家臣がいっぱいいた反省から、家臣を大切に思うようになりました。『宝の中の宝といふは、人材に如(し)くはなし』は、家康の名言です。このように失敗例から学ぶことは、武将たちの生き様から受け取るメッセージだと思っています。
 歴史は鏡です。例えば、平安時代の歴史物語の『大鏡』や『今鏡』、鎌倉時代の『水鏡』や『吾妻鏡』は、いずれも鏡という字が使われています。要するに、過去を鏡に映し未来を照らすわけですから、過去は単なる過去ではなく、未来のための過去になります。過去と現在と未来がつながり、自分の生き様をいろいろと設計するために過去があります。だから、先人たちの知恵をいつまでも学ぶべきです。
 今の目標は、先人たちの知恵を生かし、自分の足で見聞きし調べ上げた日本の城の研究を集大成させたいと思っています。

◇ 小和田 哲男 氏

 歴史学者、文学博士。1944年、静岡市生まれ、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。
 静岡大学名誉教授。
 NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」などの時代考証や歴史番組での解説で、戦国史の面白さを発信している。「家訓で読む戦国 組織論から人生哲学まで」(NHK出版新書)、「井伊直虎 戦国井伊一族と東国動乱史」(洋泉社歴史新書、2016年)など著書多数。全国の城を訪ね、地方の地酒に眼がない。
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明治維新150周年記念「薩長因備」シンポジウム特集 ②

 午後1時の10分前、森本さんの指示で二階の講堂に入りました。会場は既に満員で、熱気が充満しておりました。パネラー役の原口先生、西郷さん、原田さん、そして私は、最前列の指定された席に腰を下ろしました。コーディネーター役の森本監督は興奮した様子であちこちを歩いていました。時間ギリギリで講堂に駆けつけてくるお客もいて、場内整理の役員は椅子を手にもって対応に大わらわでした。
 午後1時丁度、森本鳥取歴史振興会長がマイクを握り、第一声を放つと、会場から万雷のような拍手が起こりました。そうとうの期間に渡って準備を重ねて来たので、気合が入った挨拶となりました。内容は二部構成で、第一部は原口泉先生による基調講演が行われました。さすがに薩摩藩研究の第一人者だけあって、淀みない口調で語る姿には大変感服させられました。先生は慶応三年末の西郷隆盛書状を通して、維新の本当の立役者は「薩長因備」であることを強調したことで、会場から惜しみない拍手が送られました。参考までに「維新に“薩長因備”の力」と題する、昨年の産経新聞の記事を紹介します。

【歴史のささやき】
志學館大教授・原口泉氏 維新に“薩長因備”の力
先般、鳥取市の映画監督、森本良和氏が西郷隆盛自筆書状1通が売り出されていることを教えてくれた(思文閣目録『和の史』243号)。慶応3年12月24日の「外倉修理之介」宛てである。西郷は名字を間違って記しているが、岡山藩家老、土倉修理助正彦のことで、後に新政府参与となった。文中で西郷は鳥取藩家老、荒尾駿河守成章について尋ねている。
成章は土倉の叔父で、西郷は成章が本当に勤王の意志が強いかを確かめたかったようだ。その内容は次の通り
〈因州(因幡)家老の荒尾駿河という人は、尊上(明治天皇)の所へ罷り出て、ぜひ勤王の御実行をしたいので、自分へも警固を命じて下さいと申したてたと聞きましたが、これはどういう事態でしょうか。朝廷がその申し出を聞きいれたことは私も承知しましたが、荒尾は一向にその動きをしていません。きっと貴方ならこの件について御存知のはずだと思い、ひとまず御尋ね申し上げます。荒尾は真に王事に尽くす者でしょうか。ただ朝廷の御都合向きを計らっているだけでしょうか。御賢慮を拝承したく、略儀ながら書をもって尊意をうかがいます〉

 書面からは、土倉と西郷が以前から親しいことがわかる。12月24日といえば、江戸の薩摩藩邸が焼き打ちされる前日。旧幕府軍との鳥羽伏見の戦いが始まるのは翌年正月3日。荒尾は、このとき御所の警備をし、新政府側に味方している。因備すなわち鳥取藩と岡山藩は、ともに池田氏が藩主だった。この両藩は鳥羽伏見の開戦2日目に新政府側についていた。これは大久保利通が、島津久光側近の蓑田伝兵衛に宛てた手紙(鹿児島県歴史資料センター黎明館常設展で公開)で確認できる。
「備前・因州官軍に相違御座なく候。備本末(本藩と支藩)共に大津へ出張大に相振ひ申し候」
 岡山藩は支藩の岡山新田藩(鴨方藩)・生坂藩とともに、大津に布陣した。草津まで関東から旧幕府歩兵大隊が迫っていた。
 この手紙は、「因州は本末、山崎へ出張、同断相振ひ申し候。懸ては御疑念もこれあるべく候えども、勢ひは言外にあるものにて、実に皇威振興…」と続く。鳥取藩も支藩の鹿奴藩・若桜藩とともに山崎で大いに戦った。新政府軍の大勝利が決定的になったことを伝えている。

 大久保は6日の日記に次のように記した。「初戦より一日も敗走これなく、寸歩も退きたることこれなし…実に大愉快に堪えざる次第なり」と喜びを隠しきれなかった。
 因備が戊辰戦争の緒戦で新政府に味方したことの意味は大きい。新政府軍は西国へ戦力を削ぐことなく、関東へ出軍できたからである。
 では、いつ頃から西郷は、岡山藩家老の土倉と通じていたのであろうか。それを知る手がかりは桐野利秋日記にある。桐野は戊辰戦争の鳥羽街道の総指揮から会津鶴ヶ城の受取りまで大役を果たしている。
 慶応3年9月1日、桐野は京都で備前藩士の青木太郎左衛門の所に行き、夜10時過ぎに薩摩藩邸に帰っている。11月3日初雪、桐野はまた青木を訪ねた。
 このほか青木の名が何度か日記に出ている、岡山藩主、池田茂政は徳川斉昭の九男であり、表向き佐幕の立場にあったが、3月15日藩主を継いだ章政は慶喜追討軍を送っている。岡山藩下級藩士の青木は、尊王攘夷派として桐野と接触したのであろう。
 鳥取藩主、池田慶徳も徳川斉昭の五男で、将軍徳川慶喜の兄だったので、両藩が新政府に味方したことは、旧幕府の士気を喪失させたであろう。
 実は西郷が土倉に宛てた手紙はもう1点ある。所有者の日本史家、磯田道史氏はその手紙を平成26年6月25日の新聞紙上で紹介された。
 日付は慶応4年の1月15日。西郷は新政府を揺るがす神戸事件の4日後に岡山藩家老の土倉に頼る必要があった。神戸事件とは神戸の警備についていた岡山藩兵とフランス水兵との銃撃戦である。英公使パークスの厳しい抗議に新政府は苦慮していた。西郷は結局、岡山藩の隊長、滝善三郎に詰腹を切らせて決着させた。
 西郷は戊辰戦争の直前と最中、2回も岡山藩家老、土倉の強力な援助を受けていたのだ。西郷書状は現在、縁の深い鳥取市が入手に向けて動いている。

 原口先生は、鳥羽伏見の戦いにおける備前と因幡の兵の配備状況から、鳥取藩が先陣を切って幕府軍と戦った様子を強調し、真の維新の立役者は「薩長因備」と声を張り上げて聴衆に訴えたことでも会場から万雷の拍手が巻き起こりました。
 第一部終了後、休憩を挟んで二部が始まり、パネラーからそれぞれの思いが語られました。何と言っても西郷隆夫氏に注目が集まり、報道陣によるカメラのフラッシュが何度も光った次第です。全体的内容は、新聞記事で紹介します。
(写真左より原口泉先生、西郷隆夫氏、原田良子氏、鯉渕義文)











明治維新150周年記念「薩長因備」シンポジウム特集 ①

  今月7日(土)から9日(月)までの3日間、友人3人と共に鳥取に行って参りました。メイン行事は8日(日)午後1時から鳥取県立博物館2階講堂で開催された薩長因備シンポジウムでしたが、約300人の方々が来場され大成功のうちに終了することが出来ました。このイベントには、パネラーとして原口泉先生、西郷隆盛のひ孫・西郷隆夫氏(薩摩藩代表)、歴史研究家の原田良子先生(京都代表)と小生(水戸藩代表)が登壇し、地元鳥取の映画監督で鳥取歴史振興会会長の森本良和氏がコーディネーター役を務めました。

  これに先だって、7日午後は森本氏、美田鳥取歴史振興会名誉会長の案内で湯谷荘と河原城資料館を訪問しました。湯谷荘は、水戸藩士関鉄之介らが遊説のため鳥取を訪れた時に浸かった湯谷温泉のすぐ近くにある施設です。一番忙しかったのは西郷隆夫氏で、ゆっくり休む間もなく管理人の求めに応じて色紙などを何枚も書いていました。
  次に河原城資料館を訪ね、その日から始まった「明治維新150周年記念展示」を見て回りました。名前のごとく資料館は城の建物の中にあり、天守閣からは鳥取平野が一望できました。水戸にはお城がないので、大変羨ましく感じました。女性事務局長のOさんは、古代史が専門と伺いましたが、鳥取の近代史についても相当勉強している様子が感じられました。
  夕方には鳥取市内の居酒屋へ場所を移し、賑やかに懇親会が開かれました。昨年9月、鹿児島市で行われた懇親会についで二回目となるため、お互いに再会を喜び合う会合となりました。今回は京都から原田先生が参加したため、一層熱を帯びた会となりました。

  翌8日(日)午前、関鉄之介らが滞在したと言われる谷長邸を訪問しました。5年ぶり2回目ということで当主が大変喜び、当時撮影した記念集合写真を見せてくれました。水戸関係者以外は初めてと言うこともあり、珍しそうに湯舟などを眺めていました。その後、西郷隆盛が月照と共に滞在したと言われている大安興寺を訪問しました。その子孫が初めて来るということで、地元の人たちが大勢詰めかけていました。住職の説明を真剣な眼差して聞く隆夫氏の姿が印象的でした。寺には、西郷隆盛が書いたと言われる漢詩の掛け軸が下げてありました。御真筆かどうかを訊かれ、原口先生は大変そうでした。
  会場には地元紙をはじめ、読売、朝日、毎日新聞の記者が待ち構えていて、西郷隆夫氏は質問攻めにされてしまいました。有名人の大変さを、まざまざと見せつけられた次第です。残り時間が少なくなり、逃げるように本会場に急ぎました。博物館内のレストランに入り、急いで昼食を注文し、慌ただしく口にしました。ここでは原口先生が質問攻めにあい、とんだ苦労をしているのを横目で見ながら昼食をとりました。
  大安興寺での様子を報じた地元紙(日本海新聞)、毎日新聞の記事を紹介します。



 小説「烈士たちの挽歌」読後感 ②

  前回に引き続き、S氏の読後感をご紹介します。S氏は小生の息子が勤務する会社の元取締役で、現在は第一線から退いております。
 
 この度は御著作「烈士たちの挽歌」をご恵贈賜わりましたこと、厚く御礼申し上げます。小生如きをお気にかけていただきまして大変嬉しく存じます。
 さて、浅学ゆえ水戸の天狗党という単語程度しか知らなかった私でしたが、本書を拝読してその血の抗争の上に現在の日本があることを再認識し、自分の不勉強を反省させられました。本県が茨城県と名付けられたのも言い得て妙、まことにそのいばらの道を表象しているような気がします。
 島崎藤村の「夜明け前」を彷彿とさせる書き出しに始まり、やがて佳境へと進む様は赤いインクで書かれているのではないかと思うほど血の色に満ちていました。御前著の「情念の炎」もそうでしたが、非常に克明かつ時系列に描かれた文章を読んで、これを完成させるためには多くの文献の精読、それを小説に肉付けする想像力と創造力、書き起こす文章力、加えて長時間硯に向う忍耐力が必要で、鯉渕様はこれらを全て克服できたから本書上梓に至ったのだと思います。思わず司馬遼太郎を思い出しました。

「小異を捨てて大同につく」という言葉がありますが、これは言うは容易しで、人類の歴史はそれができないことを証明しています。人類史上の大虐殺は、私の知る限り小異が発端です。小異嫌悪憎悪を生み、やがてそれが個人レベルを超えてグループ抗争に発展し、大規模な殺戮と報復という悪循環に陥っていきます。本書341ページに「党派による価値基準でしか判断できない土俗の病根」とありますが、水戸人はこの気質が少しだけ強いのかも知れませんね。鯉渕要人の末裔であり、ご自身も水戸人の義文さんがこのように書かれるのは謙遜のお気持ちもおありのことと拝察いたします。

 明治維新は、多くの士族にとってこんな筈ではなかったということの繰り返しだったように思います。「命を懸けて維新に邁進した自分たちを待っていたのは失業だった」「刀も失った。誇りも失った」維新後、各地で不平士族の乱が勃発したのもまことに宜なるかなです。こんな時こそ、強い指導力を持ったリーダーが必要なのでしょうが、水戸藩はその点でも不運だったと思います。結局のところ、新政府の力によって内乱は収束した訳ですから。
 
 末筆になりましたが、鯉渕様には今後ともご健勝で益々ご活躍されますようお祈り申し上げます。かくいう私も鯉渕様とはほぼ同輩、お互いの息子たちも会社で机を並べている間柄です。私も筆を置くにあたり、水戸藩士の御霊に合掌させていただきます。

「薩長因備」シンポジウム」     明治維新大激論

  来る4月8日(日)鳥取市で明治維新150周年記念「薩長因備」シンポジウムが開催されることになり、水戸藩を代表して小生と仲間3人が参加することになりました。「明治維新大激論」と題するこの行事には、鹿児島市からNHK大河ドラマ「西郷どん」の時代考証を担当する原口泉先生、主役西郷隆盛のひ孫西郷隆夫氏、岡山からは薩長同盟の地「御花畑」を特定された原田良子さん(元教師)も出席する予定になっています。従来、明治維新の立役者は「薩長土肥」と言われ続けて来ましたが、コーディネーター役を務める地元の森本良和氏(映画監督)の持論は「薩長土肥」ではなく「薩長因備」であるとし、その淵源をなす水戸藩の役割を高く評価している点にあります。森本氏は鳥取および岡山両藩の在京家老に宛てた西郷隆盛の書簡や島津久光宛の大久保利通の書簡を証拠として、その事を熱っぽく語りたいとお話されていました。「西郷さんが恐れた鳥取藩」、果たして参加者がどのように反応するか、当日が楽しみでなりません。

シンポジウム

小説「烈士たちの挽歌」、間もなく書店での一般発売開始

  私にとって、終生忘れ得ぬ日となったあの出版記念祝賀会から早一ヶ月以上が過ぎてしまいました。この間、ご臨席賜わった方々にお礼状を差し上げたり、今月下旬から予定している書店での一般発売に向けて準備を進めて参りました。著者としては、多くの皆様に愛読されることを願っているのですが、果たしてどうなることやらさっぱり見当がつきません。
 今回、手がけた拙作「烈士たちの挽歌」は8年前に出版した「情念の炎」に次ぐ二作目となる作品です。副題に―水戸藩党争始末―とあるように、水戸藩幕末史の悲惨な様子を描いてみました。時代的には、桜田事変(万延元年3月)後の元治元年12月、総大将武田耕雲斎が天狗党と呼ばれた一行800余を率いて越前敦賀の新保宿に到達する場面から「茨城県」が誕生する明治期までを扱っています。参考までに目次を紹介すると、次のようになります。

<目 次>
第 一 章 天狗党立ち往生 
第 二 章 加賀藩の軍門に降る 
第 三 章 厚 遇 
第 四 章 天狗党公開処刑 
第 五 章 門閥派の跋扈 
第 六 章 幕府の干渉  
第 七 章 武田金次郎赦免 
第 八 章 藩政の混乱 
第 九 章 准藩士屋敷完成   
第 十 章 大政奉還  
第十一章 市川勢水戸脱出 
第十二章 除奸反正の勅命       
第十三章 金次郎隊の帰国 
第十四章 水戸藩の戊辰戦争  
第十五章 市川勢水戸へ 
第十六章 弘道館の戦い  
第十七章 敗走する市川勢  
第十八章 松山戦争 
第十九章 市川三左衛門捕縛 
第二十章 市川三左衛門の公開処刑  
第二十一章 水戸城焼失   
第二十二章 金次郎病に倒れる   
  発刊に寄せて  高橋 靖 水戸市長
  あとがき

 ※ 小説「烈士たちの挽歌」取扱い書店   
   水戸市 ブックエース・川又書店各店  永井書店
   ひたちなか市 ささもと書店 大内書店
   石岡市  たかぎ書店
   日立市  OSA・書房    やまがた書店
   (注)4月初旬からは、那珂市、常陸太田市 常陸大宮市等でも販売を予定しています。

読後感想 
 過日の祝賀会にご出席いただいた方には、全員この本が謹呈されました。そのうち、何人かの方から読後感想が寄せられましたのでご紹介いたします。

―A 氏―
  「烈士たちの挽歌」拝読させていただきました。断片的に時間をかけて拝読させていただくと、幕末の志士たちの思いを十分に酌み取れないと思い、青森出張往復の電車内で集中的に読ませていただきました。読み進めていくうちに、幕末から維新に向かう激動の1860年代に引き込まれました。全体構成が広範囲で、登場人物も非常に多く、また水戸、江戸、京都、福井敦賀、会津、北陸、県北、県南、栃木方面、千葉方面等々、場面も多く壮大な構想の下に描かれていることに驚くとともに、豊富な調査と史実を織り交ぜながらのストーリーに引き込まれました。私の拙い知識では、天狗党と諸生党の争いというもう少し単純なストーリーを思い浮かべていました。実際には相当複雑で、本書に登場する尊攘激派、尊攘鎮派、本圀寺勢、最後のストーリーの中心になる市川勢と武田金次郎勢など、さらに幕府の思惑も錯綜しながらの展開に、志士の思いと行動を理解しようと必死にストーリーを前後しながら拝読させていただきました。
  150年前の出来事ではありますが、現在私が66歳ですから、私が生まれた1951年頃から振り返ると、当時は80数年ほど前の出来事であったのだと改めて思いました。
  鎖国から開国という流れと幕藩体制の弱体化、黒船来襲をきっかけとした当時の国際化幕開けへの流れ、尊王攘夷思想を掲げ、国を憂い、自らの生き方を現代人とは違った価値観の中で、生死を賭けて幕末を駆け抜けた先人たちの思いを考えると、場面場面でとても息苦しくもなり、また胸が詰まり、溜息と涙なくしては読み進めることが出来ませんでした。
人類の歴史は、大なり小なり、色々な思想の戦いであり、政治的権力闘争の歴史でもあります。近代社会になっても世界的な戦争が展開され、また、綺麗ごとでは済まされない領土争い、経済戦争、会社間の侵略抗争等々、中身は相当違っても同じことを繰り返してきました。
 我々は、先人の思いと歴史に学び、どのように現代社会を生き抜いていくかを再考させられた本書でした。鯉渕さんの素晴らしい熱意と労力から生まれたこの名著に出会えたことに心より感謝いたします。ありがとうございました。
プロフィール

鯉渕義文

Author:鯉渕義文
1945年、那珂市生まれ。茨城大学教育学部を卒業後、教員として那珂湊水産高校、鉾田二高、太田二高などに勤務。退職し現在は桜田門外の変同好会代表幹事。

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