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桜田門外の変「情念の炎」ブログへようこそ

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本日も、当ブログへアクセスしていただき、誠に有難うございます。皆様のお陰で、3年間にわたって挑戦してまいりました執筆活動も無事、終了することが出来ました。心より厚く御礼申し上げます。ブログでは、時折々に思いついたこと、感じたことなどを皆様方と対話するような気持ちで綴ってまいりますので、引きつづき宜しくお願い申し上げます。
  

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今年の抱負 先ずは復刻版「本間憲一郎先生の面影を偲ぶ」の出版

  旧年度中は、多くの皆様方から当ブログにアクセスしていただき本当に有難うございました。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
  想い起しますと、60歳代には毎週のようにブログを更新してきましたが、年を経るごとに更新回数が減り、現在では月2回がやっとという状況になってしまいました。これではいけないと自分自身に言い聞かせるのですが、なかなか年には勝てないのが現実です。この9年間で第一作目の「情念の炎」上・中・下巻、および第二作目となる「烈士たちの挽歌」と合計4冊の小説を書き上げたことで全精力を全て使い果たしてしまったようにも感じられます。年賀状をいただいた方の中には、「次は何に挑戦するのですか?」というのもありましたが、一応自分としての目標は達成できたので、今年は少しのんびりしたいと考えております。その代わりといっては何ですが、昨年後半に手がけたものがあります。

  実は毎年3月3日、土浦市の八坂神社で恒例の「桜田烈士祭」が執り行われておりますが、数年前から私も子孫の一人として参加してまいりました。その世話人をなさっているのが宮司の本間隆雄さんです。江戸時代後期、第九代水戸藩主徳川斉昭の御典医(御殿医)として活躍された本間玄調<文化元年(1804年)~明治5年2月8日(1872年3月16日)>は本間隆雄さんのご先祖に当たります。最初にこのお話を聞かされた時にはびっくりしてしまいました。その本間家が何故「桜田烈士祭」をやるようになったのか不思議でなりませんでしたが、実は本間家と桜田烈士〇〇が親戚と聞かされ、またまたびっくりした次第です。
  本間隆雄さんの父親(養父)は「本間憲一郎」ですが、一般的には余り知られておりません。橘孝三郎や井上日召の名前は教科書にも登場するので有名ですが、本間憲一郎も同世代を生きた方で知る人ぞ知る人物の一人ではないでしょうか。ネットで検索すると次のように書いてあります。

  1889-1959 昭和時代の国家主義者。明治22年12月24日生まれ。陸軍通訳をつとめ,のち中国で陸軍の諜報活動にしたがう。昭和3年郷里茨城県に紫山塾をひらく。 五・一五事件に連座して禁固4年。14年「まことむすび社」を組織。戦後、新生日本同盟を結成。昭和34年9月19日死去。69歳。  東洋協会専門学校(現拓殖大)中退。
 
  この本間憲一郎の師匠というのは、明治から昭和前期にかけて活動したアジア主義者の巨頭・頭山満翁です。本間憲一郎は前述のように桜田烈士の一人と姻戚関係にあったことから、それまで靖国神社で執り行われていた「桜田烈士祭」を是非水戸で執り行ないたいと熱心に頭山に働きかけていたそうです。頭山翁はこの申し出を快諾し、はるばる水戸にやって来て常磐神社で第一回の「桜田烈士祭」が行われたのが縁で現在に至っております。

 本間憲一郎没後5年目となる昭和39年10月19日、東京虎ノ門の船舶倶楽部で「本間憲一郎先生五年祭」が執り行われましたが、その折、井上日象、橘孝三郎、天野辰夫、吉田益参、三浦義一、鈴木善一、久野益義、薄井己亥、白阪励、白井為雄、河上利治、小沼広晃、影山正治、中村武彦の14人が世話人代表となって「本間憲一郎先生の面影を偲ぶ」という題名の小冊子がつくられ、参列者全員に配られたことを昨年隆雄様から伺いました。当初500冊を用意したそうですが、200冊ほど不足したためすぐに増刷して参列者に郵送したとのことです。

 当時作られた小冊子は現在本間家に1冊しかないということなので、「是非復刻版を刊行してはどうか」と持ち掛けたところ快諾していただいたので、昨年5月小冊子をお借りして私がパソコンで原稿を作成することになった次第です。
 小冊子を拝見しますと、題名に「本間憲一郎先生を偲ぶ」とある通り、その人となりが私の胸を打ちました。現在、本間憲一郎の存在、人柄を知っている人はごく一部でしかありません。郷土の誇りのためにも是非多くの方々に知って欲しいと願っております。復刻版は今年2月末までに完成する予定なので、参列者全員に配布できることを楽しみにしております。またこれを機に、私自身近現代の歴史、郷土史についてもしっかり勉強できればと思っている次第です。
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小説「烈士たちの挽歌」出版記念シンポジウム、盛会のうちに幕を閉じる。

 本年最後のイベントとなる「烈士たちの挽歌」出版記念シンポジウムが去る12月9日午後、県立歴史館講堂で開催されました。このイベントには県内各地より200名を超える方々が出席され、水戸藩の幕末史に関するお話や討論に熱心に耳を傾けました。大変嬉しいことに、参加者の中には真壁在住の菅谷中学時代の同級生、および高校の同級生などの姿もあり、感慨深いものがありました。

  会合は二部構成に分かれ、第一部では約一時間にわたり仲田昭一那珂市歴史民俗資料館長による基調講演(演題「明治維新と水戸」)が行われました。参加者は、受付で配布された8ページ版のレジュメに眼を通しながら真剣に聞き入っておりました。発表内容は7項目(1.五箇条の御誓文の発布 2.朝廷の復権と開国 3.他藩士と水戸 4.徳川慶喜の至誠 5.水戸徳川家の家訓の継承 6.慶喜の決意 7.根本 正 -水戸学の発展―)と「まとめ」からなっておりました。これだけボリウムのある内容をたった一時間でお話するのは至難の業でしょうが、経験の豊かさで上手くまとめていただきました。

  その後、十分間の休憩をはさみ、パネリスト役の久野勝弥水戸史学会副会長、久信田喜一茨城地方史研究会会長、石井裕県立歴史館主席研究員、仲田昭一那珂市歴史民俗資料館長の四人の講師の先生方が登壇し、水戸藩の果たした役割や事績などについてそれぞれの思いを語っていただきました。シンポジウムについては余裕をもち、全体で2時間ほど取っていたのですが、実際に始まってみますとアッという間に終わってしまった感があり、果たして参加者に十分ご満足いただけたのかどうか心配になってしまったというのが偽らざる実感です。本来、小生が務めさせていただいたコーディネーターというのは講師の先生方の持ち味を十分に発揮させる立場にある訳ですが、その責任が十分果たせたのかどうか、甚だ心許ないものを感じておる次第です。アンケート調査は実施しませんでしたので、参加者がどのように感じたか把握できなかったのが残念です。

  さて、今回のシンポジウムが開催できたのは、実行委員会を立ち上げてくれた高校時代の友人や地元ひたちなか市の「楽歴会」メンバーのお陰であると深く感謝しているところです。第一回実行委員会を開いたのが去る7月初旬で、当初は10月か11月に開催を予定していたのですが、7月中旬から例年にない猛暑が続いて第二回の実行委員会が持てず、一時は諦めかけておりました。9月に入ってからようやく第二回目の実行委員会を開くことができ、さらに第三回、四回と積み重ね、何とか今回の開催に漕ぎ着けることができました。本当にお世話さまでした。

  蛇足ではありますが、当初、小説「烈士たちの挽歌」出版記念講演会と銘打ち、私自身が執筆動機や経緯などについて講演する予定でしたが、それでは「人を集められない」との結論に達し、知名度のある専門家の先生方の協力を仰ぐことになった次第です。今回200名を超える方々にご出席をいただくことが出来ましたのも、講師を快く引受けて下った講師の先生方のお陰であり、この場を借りて厚く御礼申し上げたいと存じます。またご多用の中、お祝いのメッセージを寄せてくださった高橋靖水戸市長に敬意を表したいと思います。
  今回開催されたシンポジウムを大きなバネとして、今年実現できなかった単独の講演会を来年中に開催できればと願っております。


ブログ更新の一時休止について

日頃は、当ブログにアクセスしていただき誠に有難うございます。通常は月2回のペースで更新してまいりましたが、諸般の事情によってそれが出来ない状況にあります。12月9日開催のシンポジウムが終わる間まで、ご容赦下さるようお願い申し上げます。

市川勢壊滅の地(千葉県匝瑳市)を表敬訪問

  過日、潮来「水戸烈士顕彰会」事務局長の石津氏のご案内で匝瑳市を訪問しました。これには地元ひたちなか市から小生を含む「楽歴会」メンバー3人と、小生の先輩で茨城大学名誉教授のN氏が加わりました。N氏は退官後歴史に興味を持つようになり、あちこちの史跡を訪ね歩いていると伺っていたので、丁度いい機会と思ってお声をかけたところ、是非同行したいということで一緒に行くことになった次第です。
  その日は時折小雨がちらついていましたが、潮来に着いた頃は雨も止み、午前10時過ぎ石津氏の車に乗せていただいて匝瑳市に向かいました。最初に案内されたのは、匝瑳市飯高にある飯高檀林跡(飯高寺)で、天正8年(1580年)から明治7年(1874年)まで294年にわたって、法華宗(日蓮宗)の学問所がおかれた寺です。
(※檀林とは栴檀林の略語で、僧侶の集まりを栴檀の林にたとえ、寺院の尊称であると共に仏教の学問所を意味する。最盛期には600~800人の学僧が集まり、多くの名僧を輩出。廃檀当時のまま保存され、その中の総門、鼓楼、鐘楼、講堂は国指定の重要文化財となっている。また、境内全体は県指定史跡に指定され、うっそうとした杉林が歴史の重みを感じさせてくれる)

  次に、八日市場の「福善寺」案内されました。この場所は、明治元年10月初旬、弘道館の戦いで敗れた市川勢が昼食を取るために立寄ったところです。城山と呼ばれる山の南斜面にある由緒ある寺で、辺り一面は木々に覆われています。折よく若い住職がいらっしゃったので、期せずして本堂内を見学することが出来ました。拙作「烈士たちの挽歌」に登場する火伏開運大黒天のことを尋ねたところ、当初は渋っていましたが、倉庫の中に保管してある実物を見せていただくことが出来、大変感動いたしました。
その後、近くの食堂へ移動し、5人で昼食を取りました。案内人の石津氏は歴史に大変精通していて、食事中も熱弁をふるって興味深いお話を沢山してくださいました。お陰様で今まで知らなかったような細かいことまで知ることが出来ました。

  次に向かった先は、松山戦争で市川勢が壊滅した「浪人塚」と呼ばれる場所で、地元の方々の善意で綺麗に整えられておりました。現在は道路も整備され、周囲にたくさんの建物が並んでいるため、往時の面影はあまり感じられませんでした。私たちがここを訪れる前、水戸の関係者が同じようにバスでこの地に来たことが新聞で報じられておりました。お線香やマッチなどが置いてあり、何時でもお参り出きるようになっていましたので、香を焚き、皆で手を合わせ戦死者たちの霊を弔いました。150年の出来事ではありますが、同じ藩内で敵味方に分かれ、凄まじい戦闘で多くの尊い命が失われたことに複雑な思いが脳裏をかすめました。
  帰途、石津氏の配慮で香取市牧野にある観福寺に立寄り、伊能忠敬の遺髪墓をお参りさせていただきました。ブログで連載中の「幕末動乱の地を行く」の著者松宮輝明氏は、伊能忠敬研究会の東北支部長を務めております。

  潮来に戻ってから、ガイドをしてくださった石津氏のご自宅にお邪魔し、自慢の書、掛け軸などを見せていただきました。勝海舟、山岡鉄舟など、幕末の有名人が認めたものが多数あり、大変感動させられました。石津氏は郷土史家であると同時に骨董品の収集家でもあり、今後のご活躍を期待しております。本当に有難うございました。帰りの車中でも歴史談議に花が咲き、N先輩も大変喜んでおりました。今後は更に研鑽を積みたいと意気込んでおりました。

タイトル 幕末動乱の地を行く(5)
       サブタイトル 安政の大嶽 ①    伊能忠敬研究会東北支部長 松宮輝明

  幕末の歴史を大きく変える桜田門外の変を引き起こした原因は何であったか。
  安政5年(1858)「安政の大獄」が始まる。大老伊井直弼は一橋派の蘭学者を弾圧した。吉田松陰、渡辺華山(田原藩家老)、橋本左内(福井藩士)、頼三樹三郎(頼山陽の三男尊王攘夷論者)らが死罪になった。伊井直弼は水戸藩の徳川斉昭に国許に永蟄居、水戸藩主慶篤に差控(登城を禁じ自宅謹慎)、一橋慶喜に隠居謹慎を命じた。水戸藩の重臣の家老安島帯刀に切腹、芽根伊予之介(右筆頭取・現官房長官)、鵜飼吉左衛門(京都留守居役)を死罪、鵜飼幸吉(吉左衛門の子)を獄門に処した。宮家に対しては有栖川、青蓮院、鷹司、近衛、三条、一条、久我家などの家臣三十余名を逮捕した。
  御三家の水戸藩が徳川幕府をつぶすという陰謀説が噂され前藩主徳川斉昭と大老伊井直弼は対決する。
  徳川斉昭を幕府参与から排除することに怒った水戸藩士は万延元年(1860)春の3月、雪の桜田門外で水戸藩を脱藩した関鉄之介ら浪士と薩摩藩士有村次左衛門18名が登城する大老伊井直弼を襲い首級を揚げ、多くの彦根藩士を殺害した。「桜田門外の変」は水戸の斉昭が黒幕だと噂された。その年永蟄居の斉昭は復権することなく無念の気持ちを抱き61歳で亡くなった。死因は心臓発作と云われている。
  南紀派に擁立されて大老に就任した井伊直弼は、将軍継嗣問題と日米通商条約案の勅許拒否という問題に直面していった。南紀派は井伊直弼を筆頭とする大名や会津藩主・松平容保、高松藩主、紀州徳川家家老、大奥などに支持されていた。徳川家定は病弱かつ暗愚で、若年にもかかわらず長命や嗣子誕生は絶望視されていた。自然後継者問題が勃発するが、家定の近親であることを重視して紀伊藩主徳川慶福を推したのが南紀派である。(ただし一橋派にも開国志向の大名は島津斉彬など多数いた)。井伊直弼は一橋慶喜(後の15代将軍徳川慶喜)を担ぎ上げた一橋派と対立した。
写真 35万石9代水戸藩主徳川斉昭公 省略

小説「烈士たちの挽歌」出版記念シンポジウムの実施大綱決まる

奮ってのご応募をお待ちしています!

  先日、「小説『烈士たちの挽歌』出版記念シンポジウム」の第二回実行委員会が開かれ、開催日時、場所、内容などが決定しました。会場となる県立歴史館「講堂」は、定員が200名となっているので、果たして全席が埋まるかどうかが最大の課題となりました。少しでも多くの方々にこの行事があることを知らせるため、地元紙などに協力を依頼することになりました。また、ポスター、パンフを作成し、開催会場をはじめ、歴史愛好家が集まる場所に掲示することに決まりました。

 内容は、第一部として「基調講演」を行い、第二部で「公開座談会」を行うことが決まりました。基調講演は、幕末の水戸藩に詳しい那珂市歴史民俗資料館の仲田昭一館長にお願いしました。仲田先生は、8年前に開催されたシンポジウム「今、何故桜田門の変なのか」の際にも基調講演を担当していただきました。第二部の公開座談会では、水戸史学会副会長の久野 勝弥先生、茨城地方史研究会会長の久信田喜一先生、県立歴史館学芸部主任研究員の石井裕先生が登壇することになりました。いずれの先生も茨城を代表する歴史の専門家であり、当日を楽しみにしています。進行役は私鯉渕がやることになりましたが、事前準備をしっかり整えて、参加された方々が満足できるような内容にしてまいりたいと決意しています。

 今回のイベントは事前申込制になりますが、是非とも多くの方々に申し込んでいただけるよう祈るばかりです。具体的応募方法は、下記のポスターを参照してくださるようお願いいたします。

ポスター_convert_20181002215253

 【申 込 先】 〒312-0011 ひたちなか市中根882-3  実行委員会事務局 鯉渕 義文
         FAX:029-274‐1458                  TEL:090-8818-6592    
        メールアドレス:y8823k@yahoo.co.jp


戊辰戦争150周年記念 タイトル 幕末動乱の地を行く(4)
             サブタイトル 桜田門外の変 ②   伊能忠敬研究会東北支部長 松宮輝明

  桜田門外の変の襲撃はどのように行われたのであろうか。伊能図を基に検証してみよう。
  当日の早朝、一行は決行前の宴を催し一晩過ごした東海道品川宿(品川区)の旅籠相模屋を出発した。東海道(現在の国道15号)に沿って進み、品川の大木戸を経て札ノ辻を曲がり、網坂(港区、慶應義塾大学付近)、神明坂、中之橋(現在の首都高速都心環状線)を過ぎ、芝愛宕神社(港区)で襲撃隊の同士全員が待ち合わせす桜田門へ向かう。
  水戸藩にはあらかじめ井伊大老襲撃の届けが出され脱藩を願い出ていた。そして、彦根藩邸上屋敷(現在憲政記念館の地)から内堀通り沿いに登城途中の井伊直弼を江戸城桜田門外で襲撃した。現在の警視庁前の桜田門交差点である。不穏な状況にあり井伊家には襲撃の警告が届いていたが、直弼は護衛の強化することはかえって失政のそしりに動揺したとの批判を招くと判断し、あえて登城の護衛の強化をしなかった。

  桜田門外の変が起きた日は、3月3日桃の節句である。当日は朝から季節外れの雪で視界は悪く、すでに3寸(9センチ)ほど積もっていた。鉄之介は降りしきる雪を見て「天佑だ」と思った。井伊大老の登城を護衛する供侍たちは雨合羽を羽織り、刀の柄に袋をかけていたので、襲撃側には有利な状況だった。
  江戸幕府が開かれて以来、江戸市中で大名駕籠を襲うなどという発想はなく彦根藩側の油断を誘ったのである。襲撃者たちは『武鑑』を手にして大名駕籠見物を装い、大老井伊直弼の駕籠を待っていた。武鑑とは、江戸時代に出版された大名や江戸幕府役人の氏名・石高・俸給・家紋などを記した年鑑である。駕籠が近づくと、まず前衛を任された水戸藩士の森五六郎が書面を掲げ直訴を装い行列の供頭に近づき、取り押さえにきた彦根藩の日下部三郎右衛門をやにわに斬り捨てた。
  こうして護衛の注意を前方に引きつけておいたうえで、関鉄之介が合図のピストルを駕籠にめがけて発射し、本隊による駕籠への襲撃が開始された。鉄之介により発射された弾丸によって直弼は腰部から太腿にかけて銃創を負い、動けなくなってしまった。襲撃に驚いた丸腰の駕籠かきはもちろん、太平の世に慣れた彦根藩士の多くは隊列を乱して応戦した。
 写真 芝愛宕神社に建つ水戸烈士の碑(旧NHK愛宕山放送局)-省略-
プロフィール

鯉渕義文

Author:鯉渕義文
1945年、那珂市生まれ。茨城大学教育学部を卒業後、教員として那珂湊水産高校、鉾田二高、太田二高などに勤務。退職し現在は桜田門外の変同好会代表幹事。

「情念の炎」上巻、中巻、下巻
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