桜田門外の変「情念の炎」ブログへようこそ

                  桜田門外の変「情念の炎」ホームページはこちら                              本日も、当ブログへアクセスしていただき、誠に有難うございます。 現在、「情念の炎」下巻の発刊へ向け、日々悪戦苦闘しています。 ブログでは、時折々に思いついたこと、感じたことなどを皆様方と対話するような気持ちで綴ってまいります。  

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日常雑感 ―嫁・孫たちとの交流(下)―

ひたち海浜公園でのひと時

 人間には、大空を飛んだり、少しでも高い場所に登ってみたいという好奇心がある。小生は、その代表的な一人かも知れない。
 昼前になって雨がやんだせいか、どこからともなく行楽客が押し寄せ、見晴らしの丘は、大勢の人たちで賑わった。孫たちが駆け上がっていったので、小生もその跡を追っかけた。
 少し丘を登った先の「鐘鳴らし」の場所には、順番待ちの人がたくさん並んでいた。どの顔にも相変わらず笑顔がこぼれている。小さい子供ばかりでなく、大人たちのグループもたくさん並んでいた。
 すぐに孫たちの姿を発見し、写真を撮る位置を決めた。見てないようで、ちらちらこちらの様子をうかがっている。やがて順番がまわってきて、かわるがわる鐘の紐をひっぱった。それが終わると、また駆け出し、嫁たちが追っかけていく。

 丘のてっぺんに上がると、太平洋が一望できる。眼下にひたちなか港があり、右手に阿字ヶ浦海岸が小さく見えた。左手が東海方面で、今、話題になっている原子力発電所の施設がみえる。反対方向に眼を向けると、那須連山や筑波山などもうっすらと見え、その名の如く、なんとも言えない見晴らしである。
 この丘は、海抜60メートルそこそこの高さだが、よく晴れた日には富士山も望むことが出来るという。丘一面にひろがるネモフィラの花は、曇っているせいで半開きのままだった。孫たちも、日常見慣れない景色をみて、大分はしゃいでいる。この場所も人気スポットで、次から次と人が登ってくる様子がうかがえる。
 丘の下に古民家があるというので、そちらに通じる坂道をくだった。

 清清しい空気を吸いながら降りていくと、古民家の手前に休憩所があった。翼のゲートから入場して、それなりの距離を歩いてきたので、何となく喉が渇いたような気分になる。どうやら、それを見込んで設置された感がする。孫たちが、ソフトクリームののぼり旗を見逃す筈はなく、早速、ベンチに腰をおろし、全員で食べることになった。同じ物を口にしても、みんなで食べるとことさらにうまいものである。
 古民家里の家は、江戸時代のもので、大変、興味深かった。孫たちは、家よりもその裏手にあった「竹馬乗り」に興味があったようで、他の子どもたちに交って意気込んでいた。

 西エリアで楽しんだ後、反対側のガーデンエリアに移動し、季節の草花を観賞と記念撮影をした。孫たちは花に眼をくれず、近くの子ども広場に行き、きゃあきゃぁ騒ぎながら駆け回った。小生は少し疲れて、息子と近くのベンチで一服した。
 この日のメインは、プレジャーエリアで遊ぶことで、大観覧車が眼に入るや、孫たちの足取りは、急にはやくなった。これとは対照的に、我が家の財務大臣は、終始、疲れ顔で、足を引きずるように歩いている。少々、気遣っている間に、嫁、孫たちの姿が見えなくなった。
 二人で、トボトボ歩いていくと、あちこちに食べ物屋さんが建ち並んでいる。大臣は甘いものを見ると、すぐに欲しがる癖がある。早速、甘菓子を購入し、近くのベンチに腰を下ろした。小生は食べないので、孫たちの偵察に出た。

 このエリアは、若者、子どもたちの人気が高く、大勢の人たちで賑わっていた。
 キョロキョロして探していると、息子と孫を発見した。同じ孫でも、男女の違いがあるようで、男の孫は、消防自動車の消火活動に似た遊びができるところで、順番待ちをしていた。女の孫たちは、ゴーカートならぬ「バッテリーカー」を乗り回していた。スピードが緩やかなので、親たちは安心して見ていられる。早速、大臣のもとへ報告した。
 人混みの中を歩いていくと、嫁と孫たちが次の遊びを話し合っていた。話がまとまると、シーゴーランド、空飛ぶブランコ、海賊船レガッタ等々に乗り込み、得意げな顔をしていた。
 今回は利用しなかったが、周囲には、スーパースィング、ディスクオーと呼ばれるスリリングな乗り物などがあり、大人も子供も「キャーキャー」と、大歓声をあげている。思わず、カメラのシャッターを切ったが、小生には、見ているだけで十分だった。
 お恥ずかしい話になるが、学生時代、東京で開催された大会の帰途に後楽園遊園地で遊んだことがある。その時、似たような乗り物に乗って懲りたことがある。乗る前まではよかったが、いざ動き始めると、遠心力で空中に放り出されるのではないかという恐怖感にかられ、冷や汗をかいたことがある。人によっては、それが面白いというのだが、人間いろいろである。

 楽しい時間は、はやく過ぎるもので、気がついてみると5時近くになっていた。雲間からは陽が差し込み、子犬などを連れた行楽客たちが、一斉に翼のゲートの方へ向かいはじめた。孫たちは、まだ遊び足りないようで、親に注意されながらしぶしぶ顔で歩き出した。
 駐車場に戻って車に乗る間もなく、男の孫が、寝息をかきはじめたが、二人の小学生の女の子は、興奮が覚めやらない顔つきをしていた。

 数時間の滞在ではあったが、多くの人々の笑顔がつよく印象に残った。お陰様で、自分の気持の中にも活気が湧いてきた。

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日常雑感 ―嫁・孫たちとの交流(上)―

ひたち海浜公園でのひと時

 ゴールデンウィーク中の5月4日、狭い一室での仕事から解放され、3年ぶりに地元のひたち海浜公園に出かける機会にめぐまれた。
 前日までの天気予報では、その日は雨と予想され、半ば諦めかけていた。事実、前日から不安定な空模様で、当日も未明から雨が降っていた。いつものように夜中から朝まで机にむかっていたが、止む気配もないので午前7時頃、横になった。
 孫たちが我家にくるのは午前11時頃と聞いていたので、取りあえず、目覚ましだけは、その時間に設定した。案の定、うつらうつらしていると孫たちの元気な声が二階まで聞こえてきた。雨は降り止まない様子なので無理だと思い、また寝入ってしまった。
 しばらくして、家内が部屋に来て、はやく起きるようにと言われた。カーテンを開けてみると、雨があがっていたので、直ぐに着替えて下に降りた。

 祖母の部屋には、長男夫婦と小学2年の娘、三男夫婦と小学1年の娘、3歳の息子が来ていて、子どもたちは、相変わらず元気にはしゃいでいた。
 小生の顔を見ると、決まって「あっ、じいちゃんだ」という。公園に遊びに行くということが分かっているので、皆、ご機嫌顔をしている。最近はゲームに熱中し、3人で仲良く遊んでいるが、時折、甲高い声を張り上げて言い争いをする。昔から「兄弟喧嘩は鴨の味」と言われてきたが、それも楽しみの一つなのかもしれない。
 小生の場合、男3人兄弟の長男として生まれたが、子どもの頃には同じように兄弟喧嘩をしたのを思い出す。今と違って、ゲーム遊びはなく、当事は、「馬乗り」「缶蹴り」「ぱーぶち」「かくれんぼ」と言われるような素朴なものばかりだった。
 その他、男の子は「杉鉄砲」「紙鉄砲」「ゴム銃」「ビー玉」というような遊びもしていた。大きくなると、「ベーゴマ」「模型飛行機」などに夢中になった。勿論、木登りもあったし、冬季は、山野にでかけて「メジロとり」などもやった。

 昼前、車に分乗して出発した。海浜公園までは5分程度の時間だが、先ずは、昼食をということで、公園近くにある馴染みのうどん屋さんに入った。3人の孫とも、うどんが大好物である。元々、ここは製麺業をやっていたが、やがて食堂も始めるようになった。安くて味がいい知る人ぞ知る店で、結構、人気がある。
 食後、早速、公園の駐車場に入ったが、午前中が雨だったせいか、かなり駐車スペースが空いていた。3年前までは、5月4日は無料ということだったが、いつの間にか変更されたようで、入場券売り場に言ってみると、大人400円、子ども200円、65歳以上200円と表示されていた。「まあ、それでも安い方だ」と、独りつぶやいた。 お会計は、我家の財務大臣が担当することになっている。

 雨が降った後の緑の公園は、何とも言えない光景だった。孫たちも大はしゃぎで、勝手に歩き出した。樹木の緑がきれいで、大人でも子どもでも自然に歩きたくなる。最初は、ネモフィラが咲きほこる「みはらしの丘」を目指した。
 園内に入ってみると、思ったよりたくさんの人が来ていて、どの顔にも笑顔がほころんでいる。このようなホッとする光景を目にするのは久方ぶりのことで、来て良かったと感じた。
時折、5〜6両編成の電車のような乗り物が音を立てて、横を通り過ぎていく。ほとんど満席で、乗客の顔にはやはり笑顔がこぼれている。ただ、最後尾に乗ってマイクを握る若い子が、少々疲れ気味だったことだけが気になった。 
 
 みはらしの丘に行く途中のコースは、いろいろ工夫がされていて、尾瀬沼に見られる木橋のような道もある。自然の植物を保護するための措置のようである。そこには様々な種の植物が生い茂り、多くの人が立ちどまってカメラのシャッターを切るスポットの一つでもある。
 ついつい見とれている間に、御一行方の姿が見えなくなったので、先を急いだ。
 緑の中の道を抜けると、やがて、前方に小高い丘が見え、薄紫色のネモフィラが一面に広がっている。中腹に鐘が設置されていて、ひっきりなしにその音が響いている。
 孫たちは、それに興味があったようで、急に走り出した。財務大臣は、余り散歩に慣れていないため、早くも疲れ顔になっている。息子や嫁たちは、子どもの後を追っかけなくてはならず、何かと、忙しそうである。(つづく)





日常雑感 ―大空への夢―

 愛犬「チビ」とともに戸外に出ると、日増しに空を飛び回るツバメの数が増えているように感じられる今日この頃です。
 いつも買い物するスーパーの軒下には沢山ツバメの巣がありますが、毎年、その時期になると必ず同じ場所に戻ってくるようです。最初に行なう巣づくりは、昨年の古巣を利用してリフォームでもするのでしょうか? 
 他の一般的小鳥とは、かなり飛び方が違うので、ついつい散歩の途中、見とれてしまいます。空を舞うという表現がぴったりの鳥で、うまく追い風を利用して滑空してみたり、風にむかって急に勢い良く上昇したりします。速度も方向も自由自在に変えて飛んでいる姿は、見る人の気持を楽しませてくれます。あの小さな体で、数千キロもの海を渡ってくるということですから、本当に驚きです。
 体型が実にスマートで、羽を広げた形はまるで戦闘機のようです。「燕返し」という佐々木小次郎が得意にした剣術があるそうですが、すばしこく動き回るツバメの動きを真似た剣法を意味する言葉なのかも知れません。

 小生は、子供時分から空を飛ぶものに憧れていました。人間には、空を飛びたいという欲求が有るようです。小学校低学年の頃、少しでも空中を飛ぶ感覚が味わいたいと思い、洋傘をもって屋根にのぼり、それを広げて飛び降りた記憶があります。幸い、怪我はしませんでしたが、大事な傘が壊れてしまい、親からきつく叱られたことがありました。
 高学年の頃は、模型飛行機が流行った時代で、子ども仲間と、どっちが長い時間飛んでいられるかどうかを競い合ったことが思い起こされます。羽根の形や、紙の張り方、バランスなど、様々な条件がうまく噛み合うと、結構、長い時間、空を飛んでいます。
 中学時代に入ると、趣味が高じてエンジン付の飛行機を親にねだり、買ってもらったことがあります。ラジコン飛行機ではなく、Uコンと呼ばれるもので、バルサで組み立てた飛行機をピアノ線につなぎ、同じ円周を飛ばすものでした。最後はピアノ線につながずに飛ばし、折角、作り上げた大事な飛行機を台無しにしてしまいました。
 
 このような経歴があり、高校時代は、パイロットになることを密かに夢見ました。関係の本を読んでみると、宮崎航空大学校というパイロット養成の学校があり、そこに入ることを目指しました。現在も同じようですが、大学2年間の教養課程を経ないと受験資格がないため、大学進学を決意しました。
 一方、器械体操にも憧れ、高校時代から部活に所属していたので地元の大学を受験することになり、何とか希望通りの道に進むことが出来ました。2年生の夏休みだったか、あらためて宮崎航空大学校の募集要項に目を通しますと、何と最後の方の「身体検査基準」に、身長165センチ以上(現在は158センチ)と記載されていることに気づき、愕然としました。
 結局、その時、飛行機乗りになることを断念し、教員の道に進むことになったのです。今思えば、おっちょこちょいの自分がパイロットになっていたら、どのような結末を迎えたのか、想像しただけで、身の毛がよだつような思いがします。

 しかし、空を飛ぶことへの憧れは、その後もずっとつづき、今も変わりありません。が、その割には、大変臆病なところがあって、他人が操縦する飛行機にはなかなか乗る気がしませんでした。それでも空を飛ぶことの夢が捨てきれず、30代の時、初めて飛行機に乗りました。
 飛行機と言っても、小型の遊覧飛行で、地元の龍ヶ崎飛行場から飛び立ち、上空を約20分位飛び回るという、お子様ランチのようなものでした。離陸して水平飛行に入るまでは心臓がどきどきしましたが、その後は楽な気持で下界の景色を楽しむことが出来ました。
 ジャンボ機に乗ったのは、それからしばらくたった後で、過日ブログで触れたアメリカ・オレゴン州ポートランドでのホームステー生徒引率の時が初めてとなりました。その後、息子の案内でオーストラリア、韓国、上海と何度か、飛行機に乗る機会があり、やっと安心して乗れるようになりました。

 年に何度か、エンジン付のパラグライダーがのどかに空中散歩をしている光景を眼にします。それを見る度に、「あれもやってみたいなあ」という思いにかられますが、少し高いところに登っただけで足が震えだす現在、見るだけに留めておきたいと思います。

日常雑感 ―交流の楽しみ―

 過日、初夏を思わせるような爽やかな天気にめぐまれましたが、また、春特有のどんよりとした日々がつづく今日この頃です。その一方で、ツバメが空を舞っている姿を眼にすると、気温は確実に上がり、ゆっくりと時が動いていることを感じさせられます。
 近くの埴輪公園に足を向けると、途中にある田圃に水が張られ、今までとは違った光景が眼を楽しませてくれます。公園の下の方にある数千本の花菖蒲も、気温の上昇で一気に背丈が伸び、かたわらの池からは、のどかな蛙の鳴き声が聞かれました。

 間もなくゴールデンウィークに入りますが、いよいよ「夏も近づく八十八夜」で知られる茶摘みのシーズンを迎えます。「桜田門外の変研究同好会」のN氏は、実兄が静岡で茶園を営まれている関係で、先日、現地におもむきました。今頃は、茶摘みの準備で忙しい日々を送っているのではないかと思います。
 小生は、仕事のため机に向かわなくてはなりませんが、日頃、職場で奮闘されていらっしゃる皆様方には、心身をリフレッシュする絶好の機会ではないかと拝察いたします。家族連れでの旅行、疎遠になって方々との交流、野山へのハイキング等々、それぞれの楽しみ方があるのかも知れません。

 さて、前回のブログで、教職員の移動、退職等に伴う葉書が2枚だけと紹介いたしましたが、数日後に、もう一枚だけ届きました。
 大学の後輩からの挨拶状で、小生と同じく器械体操部に所属していました。現職中は、神奈川県内の中学校を振り出しに、県立足柄青年の家、渋沢中学校、秦野市教育委員会などを歴任、最後は秦野市内の中学校校長をつとめ、この3月、定年を迎えました。
 年の差があり、学生時代の様子はよく存じませんが、関東5大学体操競技会や関東甲信越大会の茨城県内行事には、役員として一緒に参加するなどの交流があり、大変、生真面目で人徳のある方だと思っていました。書面には、奇麗なバラの花の挿絵が載っていました。4月からは教育事務所に勤務し、若手教員の研修を担当されるようですが、今までの貴重な体験を活かし、なお一層の御活躍をしてほしいと願っています。

 来月は、大事な行事が2つあります。
 1つは、大先輩であるY氏の「曲作り50周年・作品発表会」が、ご当地の城里町内で開催されます。当初は、昨年5月に実施されるはずでしたが、大地震で施設の一部が破損したため、1年越しの開催となりました。
 現職時代は、音楽教師としてご活躍されたばかりでなく、数々の歌を作詞、作曲されるなど、とても才能豊かな先生です。一昨年に放映された「桜田門外ノ変」の映画がきっかけとなり、お付き合いさせていただくようになりました。 歴史にも造詣が深く、平重盛についての小冊子なども発刊しています。因みに、重盛ゆかりの小松寺が、先生の家の近くにあります。
 作品内容は、歴史ものから母親の情愛に関するものなど、幅広く手がけています。2年前、記念CDを贈呈していただき、歌の素晴らしさに感動いたしました。交友関係が広く、今回のイベントには、作曲家の船村徹先生のお弟子さんや、県内のコーラスグループが何組も出演するということで、当日の公演を心待ちしています。

 月末には、大学体操部の総会が水戸市内で開催されます。
 この会合には、多数の先輩、同輩、後輩が集ってきますが、毎回、それらの方々の元気なお顔が拝見できるのが楽しみです。特に、第2部の懇親会ではお酒が入るので、学生時代の懐かしい思い出に花が咲きます。小中学校の同窓会も同じですが、顔を付き合わせると、必ずその当時のことが話題の中心となります。
 それ以外にも、若い世代の方々からは、職場での御苦労談などを聞くことが出来ます。退職後の様子を聞くのも楽しみの一つで、映画のエキストラ、写真、演劇、体操クラブ指導、山登り、自治会等々、様々な分野の話で盛り上がります。
 卒業生は、北海道から鹿児島まで全国に散らばっていますが、当日、どれぐらいの方々が集ってくるのか、大いに期待されるところです。

日常雑感

「世の中は、三日見ぬ間の桜かな」

 つい先日、大学の入学式をはじめ、主要企業の入社式などの模様が新聞、テレビで報じられたが、いつの間にか桜が咲き出し、その桜も、見よう見ようと思っているうちに花びらが大分散ってしまった。相変わらず、時が過ぎるのがはやく感じられる今日この頃です。

 今の時節、数年前であれば、教職員の人事異動や退職等にともなう挨拶状が、多数、手もとに届いたが、年を経るごとに減少し、今年は、ついに2枚だけとなった。それとは対照的に、年末に届く喪中葉書は、年々、増えるばかりである。
 2枚のうちの1枚は、小生とは又従兄弟の関係になる人からのもので、祖母の生家に住んでいる。お住まいは、水戸の郊外で周囲を山林に囲まれた閑静な場所にある。小生とは違い、大変ユーモアのある方で、今年、水戸市内の小学校の校長を退職された。
 もう一枚は、長い間、中学校で保健体育の先生をされていた方で、小生と同じく、部活で器械体操を教えていた。勝田一中時代には、全国大会でチーム優勝を果たし、一躍、有名人になった。背が高く、美男子で、若い頃は、茨城県の代表選手として国体で活躍された。かれの娘が、小生の長女と同級生で大変仲がよく、結婚披露宴にも出席させていただいた。そんな関係から、奥様も何度か、我家に来たことがある。

 「世の中は、三日見ぬ間の桜かな」という有名な言葉の通り、桜が満開になると、必ず雨が降り、つよい風が吹き荒れ、アッという間に花が散ってしまう。桜の花は、バッと咲き、パッと消えるという一種の宿命的なものを持っているのかも知れません。別な見方をすれば、桜は、桜なりに散り際を弁えているということなのでしょうか。
 17年前の3月20日、日本で地下鉄サリン事件が起こった日、小生は、ホームステーの引率教諭として、オレゴン州ポートランドにいました。約3週間の滞在中、週末にはあちこちの公園や植物園などを案内していただきましたが、主要な場所には、日本から持ち込まれた桜が満開に咲き誇り、大変、驚かされました。ポートランドだけではなく、ワシントン、サンフランシスコ等々にも、たくさんの桜の木が植えられているようです。人種、民族を問わず、美しいものには、誰もこころが動かされます。

 俳句にある通り、世の中の動きも目まぐるしく動いています。原発再稼動問題をはじめ、国民の生活に密接にかかわる問題がたくさんありますが、どれ一つとっても一筋縄にいかないところに問題の根の深さを感じさせられます。被災地の瓦礫処理についても、受入れ側の住民の理解がなかなか得られず、思うようにはかどらないと言われています。
 被災地には、多くの国民からたくさんの救援物資が寄せられたにもかかわらず、受け入れ反対という人間の感覚は、一体、どのようになっているのでしょうか。住民のエゴなのか、自治体の長である市町村長、県知事や政府のリーダーシップが欠如しているのか、てきぱきと処理できないところに、現在の日本が抱える病巣を見る思いがし、残念でたまりません。

 そのような閉塞感がただよう中、一躍、世の脚光を浴びるような発言が飛び出しました。例の「尖閣列島先買い上げ論」です。小さな無人島ですが、周囲に日本の国益と大きくかかわる資源があるということで注目されているようです。
 この発言が、今後、どこまで大きな議論に発展するのかは分かりませんが、「国家」という概念を国民に考えさせる場を提供したと考えれば、大変、重要な意義があると思います。これに対し、台湾や中国は、不快感を示していますが、どこまで本気なのか、冷静に見守っていく必要があると思います。
 副知事の談話に寄れば、「都の税金ばかりでなく、国民からの寄付も考えている」というですから、尚更、国民の関心が高まっていく可能性があります。

 先の大阪市長による都構想、国政進出発言と、今回の東京都知事の尖閣列島発言、東西相呼応するような両者の動きを、果たして永田町、国民はどう見るのか、今後の成行きに注目が集りそうです。
プロフィール

鯉渕義文

Author:鯉渕義文
1945年、那珂市生まれ。茨城大学教育学部を卒業後、教員として那珂湊水産高校、鉾田二高、太田二高などに勤務。退職し現在は桜田門外の変同好会代表幹事。

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